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点と点を結んで生きる 【2016年まとめ】

私は「一人」が好きだ。

休日も大抵一人だし、映画もご飯も一人で行くし、遠征だって一人で札幌ドームまで行った。誰もいない静かな部屋で、大好きなアイドルのコンサートDVDを見たり、本を読んだり、考察を捏ね繰り回して、こうしてブログを書いたりする、私の時間が大好きだ。

 

思い起こせば物心ついた時から、ずっと私は「1」だった。

私の実家は福岡の田舎の町外れにあって、近くに同級生はいなかった。放課後、誰かに気安く遊びにおいでよと言えないほど、学校からも遠くて、帰宅するだけでくたくただったし、自分から遊びに行こうという気にもならなかった。遊び相手は三つ下の妹だけだった。ずっとそれが私にとっての普通で、中学生の時、初めて休みの日に友達の家に遊びに行った時はとてつもなく緊張したのを覚えている。友達の家に初めて外泊したのに至っては大学生になってからで、四年生の頃、卒論の追い込み時期に家まで帰るのがしんどくて(私は福岡の実家から佐賀の大学まで毎日特急電車で通っていた)、何回か同じ研究室の子の家にお世話になった。

小学生の頃、そういう家が遠い、周りに同級生がいない、というのもあって、教室にいてもいつも自分だけが「異物」のような気がしていた。周りの子たちは、田舎によくある親同士が親戚という子たちも多くいて、そうでなくても地域ごとのコミュニティが完全に出来上がっているのを、子供ながらに感じていた。いわゆる、幼馴染、という仲良し集団がたくさん乱立していたのだ。そこに異物の私が馴染めるわけもなかった。みんな仲良しだったけど、きっと今にして思えば、誰も私に本音は話していなかっただろうし、私も誰にも本当のことは言えなかった。あの頃も、今現在も、私に親友と呼べる存在はいない。そして、それを寂しいとも思わない。思えない。だってずっと「1」であることが普通だったから。

 

それはジャニオタになってからもそうだった。

私が嵐担になった頃、高校時代に嵐が好きと言っていた同級生の子達とコンタクトをとるようになって、よく一緒に遊んだ。元々4人のグループで、そこからさらに二人ずつに分かれていて、その二人ずつも「相方」を公言するような超絶仲良しペアという組織図だったところに私が飛び込んだせいで、必然的に事ある場面で「2・2・1」という構図になった。さらに私が入ることで二人の出来上がっている空間を邪魔しているような気がして、この頃のなんとも言えない孤独感は忘れられない。せっかく一緒にいるのに、私はずっとそこにいないみたいだった。それに加えて、四人には共通の参戦履歴があるのに、私にはないから、その話をされるのも精神的に辛かった。あの時のコンサートでさー、○○が××してどうのこうのだった、あーあったねー楽しかったねー、みたいな。自ら過去のレポートをネットで探して調べて吸収するのと、直接口から聴かされるのは訳が違った。私だけがそこにいなかったという事実がもたらす疎外感がすごかった。今思うと、ただ単にこういうことがあったんだよ、って教えてくれようとしたただの親切心だったのかもしれないけれど。

そんなこんなもあって、私は徐々にそっと、そのグループから離れた。嵐のチケットの取り辛さを考えると、協力し合うのが最善というのは分かっていたけど、耐えられなかったし、一緒にいる時にそういう話をされても辛い、という本音を口にすることは、私には無理だった。なんて人付き合いが下手くそなんだろうと思った。他の人は、仲良しの子にはこういうことをちゃんと言うんだろう、そしてそこから親友とかいう存在になるんだろう、でも私にはそれは無理だった。どうしても、本音なんて口に出来なかった。それを言ったら、空気を壊す。私一人の感情が原因で、四人を少なからず傷つける、そう思うと出来なかった。みんなどうやってそれを飛び越えていくの?わからない。親友って何。何でも話せる相手ってなに?親にだって、本当の事なんて今まで口にしたことがないのに。

もうジャニーズ関係で、特定の仲良しを作るのは止めよう、と決めた。全部一人でいいやと思った。一人がよかった。ずっと一人だったから。

私の嵐の名義は、比較的よく頑張ってくれている方だと思う。10周年から先は相葉さんの舞台「君とみる千の夢」とLOVEコン、japonismに当選した。入会してから一度も当たらない名義もある中で、近年は二年に一回の当選を果たしている。快挙。しかし裏を返せば、2014年までは、一年に一回も現場がない、なんて年も珍しくなかった。今年は、その反動の様に現場に行きまくった一年だった。

 

 

総括として思うことは、非ジャニーズの舞台が実は苦手かもしれない、テレビ番組を見るのがしんどくなった、誰かと一緒も悪くない、という三点だ。

 

まず舞台のこと。

今年はコイベビや寝盗られ、市場三郎、ジャニフワなど、かつてないほど舞台を見た。どうやら私は、あの舞台の短い時間だけで、話を整理し、登場人物の気持ちを汲み取り、そして自担の活躍も確認して、という同時多発的な情報を受け取る力が弱いことがわかった。自担がいなければ、割とフラットに全体を見られるし話にも集中出来るので、大丈夫なところもあるけど、応援屋とかは特に、話のメインとは関係なく、バックで自担が歌ってるシーンとか、ちょっとどうしたらいいのかわからない!と思う場面もあって、舞台経験値の低さが露呈したように思う。話に集中すると自担を見てられない、でも自担を見たい。でも自担見てると登場人物の感情の動きがわからなくて、話が頭に入ってこない。回数こなせば、もっと楽しめると思うんだけどなー、いかんせん、何度もその為だけに遠征出来るわけでもないし、この部門は割と2017年も課題かもしれない。

その点、ジャニフワのようなザ・ジャニーズという舞台は、どちらかというとショーなので、ストーリーもあってないようなところがあるし、コンサートに近い感覚で見ることが出来るので、肌に合っている、と感じた。考えるより感じろ、の世界。ああ、アイランドがとても楽しみです。

 

テレビ番組に関しては、そのまんまだが、バラエティ、ドラマ問わず、見続けるのがなんかもうしんどいというか、面白い!と感じることが少なかった。それと、アイドルと今を一緒に生きていきたいのに、こういうメディアってアイドルの過去なんだよな、と思ってしまって。収録されたものだから仕方ないというか、当たり前なんだけど、今を目撃したいのに、割と時間のほとんどを過去の収集に消費してる、とか思ってしまって、下半期はあまり力を入れて見られなかった。同じ過去なら円盤を見てた方がいいかなとかも思ったし、私が見たいものは地上波のバラエティ番組の中には、もうあまり存在しない気がする。もちろん、頑張ってる子たちの頑張りの結果は見届けたいので、録画はするだろうけど。うーん。2017年は音楽番組だけでいいかもなーとか思っているところ。

 

最後。なんだかんだ、今年のコンサートで完全に一人で入ったのってサマステ、ハシツア、JUMPコンぐらいで、後の現場は誰かと常に一緒だった。その時、その場の為だけのお付き合いの人もいれば、ツイッターで長く交流があって、やっと現場でお会いできた人もいたし、はじめましてじゃない人もいて、でもどれもすごく、本当にね、すごーく信じられないくらい楽しかった。

ずっと「1」だったけど「2」も悪くない、誰かと一緒に入って、終演の後、ぽつぽつ答え合わせをするみたいに感想を言い合って、またどっかの現場で、と言って別れる。点と点を結ぶような、刹那的だけどたしかに続いていくであろうこの関係って、悪くない、そう思えたっていう事実が、なんだかとても嬉しかった。ずっと抱えていた、一人でいなくちゃいけない、一人が一番いい、という呪いみたいなものが解けたなと感じられたのが、今年一番の収穫だった。来年は味を占めすぎて出会い厨みたくなるかもしれない。

 

来年の抱負としては、相変わらずいろいろ現場には行きたいし、遠征もすると思うけど、いつも現場に必死になりがちで、観光とか現地の美味しいモノとか、すっ飛ばして生きてきた人生なので、現場以外の楽しみをどうにか行程に捻じ込んでいけたらなーと思う。

今年が新天地開拓年だとしたら、来年は拓いた土地をもっと豊かにするような年になればなと。情報の取捨選択も、もっとばっさり、身軽にいきたい。現場のような一次情報を大事にしたい。メインはJUMP10周年と、A.B.C-Z5周年かなー。この一、二年がターニングポイントになりそうなSexy Zoneも着実に見ていきたいし、WESTさんはいわずもがな。今年とあまり変わらない予感しかないな。

 

最後に、ツイッターで、現場で、このブログで、お世話になったみなさん、出逢って下さった方全員に、来たる2017年、良い事ばかりがありますように。

 

アップデートした僕らは 【ジャニーズWEST 1stドームコンサート 24から感謝届けます】その2

ずっと書きたい、書きたいと思いながらやっと仕事を納めた本日、Wordを開いて思いました。何を書こうか。ずっと、考えていたこと。胸の中に確かにあるのに、全然形にならない、よくわからない感情。

いつもコンサートが終わると、ロスだー!と自分でどうしようもないくらい、早く次のコンサートに行きたい!!出来るだけ早く自担に会いたい!出来るだけ早く円盤をくれ!!となるのに、今回のジャニーズWESTの1stドームコンは違いました。

なんだろう。このすっきりとした晴れやかな気持ち。コンサートでもらったたくさんの元気と笑顔が、そのままみるみるうちにこの体に吸収されて一つになって、私の心と体をぐんぐん動かしている。底のない動力源を手にしたみたい。こんなことは初めてで、この気持ちに何と名前をつければいいのか、分からないでいます。

 

楽しかった。楽しすぎた二日間。喉は千切って捨てて下さい!!と重岡君に言われた通りに、力の限り声を出して、歌って踊った三公演。楽しかった。言葉が追いつかないほどに。もしも、あの日に戻してあげるよと言われても「あ、それはもう大丈夫っす」と言えてしまうくらい、その瞬間の自分を全力で生きた、悔いは何一つない、私にとってあの京セラドームでの時間は、そういう時間だったように思います。

 

忘れられない美しい景色を、いくつも見ました。

「ええじゃないか」の“パッと花吹雪”で一瞬、薄紅に染まった会場の照明。

一斉に揺れる七色のペンライト。

感情のままに零れていた笑顔。

堪えきれずに頬を伝った涙。

闇を切り裂くような白光の中、躍動していた七つの体。

 

こういうコーナーはあるだろうと期待した曲も、これはさすがにツアーじゃないか、と思っていた曲もふんだんに織り込まれた、出し惜しみしない、という事前の言葉通りの、そして、私が予想していたより遥かに練りに練られた、豪華なセットリスト。

「ええじゃないか」から続くシングル曲の流れは一発めえコンを、「SCARS」「Can’t Stop」「アカンLOVE」の部分はパリピポコンを、「ホルモン」や「ラッキィスペシャル」は今年のラキセコンを彷彿と思わせる演出で、その時その場にいた感情がわっと蘇ってくると同時に、あの時その場にいたかったと心のどこかで思っていた寂しい気持ちが、あっという間に拭われていました。

ジュニア時代の曲のコーナーは絶対あるだろうと思っていて、でも私は彼らのその時代を知らないから、どんな気持ちになるんだろうって不安だったんですが、その瞬間の会場のちょっと悲鳴じみた、あるいは押し殺すような歓声をきいて、ああ、やってくれて良かったなと思いました。なにより、パフォーマンスする彼らが、とても楽しそうで、ちょっと今より幼かったであろうその頃に一瞬、帰っていたような気がします。初日に隣にいた御嬢さん、たぶん重岡くんの挨拶でぼろ泣きしてたので重岡担だと思うんですけど(まあ私も負けず劣らず泣いていたのでそうとも限りませんけど)、その御嬢さんがDial upがかかってから、持ってたタオルを顔に押し当ててずっと泣いてて、その子の体から、今日までの彼女が応援してきた日々の記憶や感情が、ぽろぽろと零れているみたいでした。思い出や歓声に質量があるのなら、もうとっくに京セラドームは内側から吹き飛んでいるんじゃないか。そう何度も公演中に思いました。

 

 

 

重岡君は、初日より二日目の一部、一部より二部と、どんどん笑顔になっていって、オーラスではただただ「楽しい!!」っていう気持ちのままに笑っていたように見えました。重岡君がよく言う「ゾーンに入った時」の顔をしていたように思います。カメラに抜かれるどの瞬間も、満面の笑みで、その笑顔を見るにつけ、私も「楽しいねえ、よかったねえ」と思って、笑って泣きました。泣きたいわけじゃないのに、重岡君のあの笑顔を見たらねえ、涙が出てしまうんだよ。

 

――悩んでた期間、やめたいと思わなかった?

「1回も思わなかったです。1回も。絶対、やめないって思ってましたから。僕、捧げてきたんで、ジャニーズに。人生も、青春っていう青春も全部。ほかの道なんて存在しなかったし、この世界がなくなることが怖かったんで」

Myojo 2015年2月号

 

一万字の重岡君の「捧げてきたんで、ジャニーズに」その言葉が、頭の中をぐるぐるしてました。重岡君が捧げてきた全部に意味があって、今日この瞬間に続いているんだなと思って泣いて、そんなことを思っていたら、初日の挨拶で重岡君は、こんなことを言いました。

昔、ジュニアの頃、先輩のバックでこの京セラドームに来た時、暗幕の隙間からステージを見ていた、と。あの日の自分が、あそこから見てるような気がして。

そう言って、客席の向こうの過去の自分に、おどけて笑って手を振ってみせた重岡君にまた泣いてしまいました。重岡君は、一瞬一瞬の積み重ねが未来を創ることを強く意識している人なんだと思います。

 

「失敗から学ぶこともあるし、自分がベストを尽くしたことなら、反省はしても後悔にはならへん。ヘコんだときに引き上げてくれるのは、未来の自分やで」

duet 2016年5月号

 

重岡君はいつも、未来の自分を見ているんだろうと思います。さまざまな現場で、先輩たちの背中を見るにつけ、そこに並び立つ、未来の自分が見えているんだろうと思うのです。

京セラドームのあのステージの上から、重岡君が見た次の景色は、未来の自分は、どうでしたか? いつか、どこかで教えてくれると嬉しいなあ。

 

神ちゃんはオープニングで着ていた赤衣装が爆発的に可愛くて、初日座席でひっくり返りそうでした。耳…!耳ある!!もふもふ!!!! 衝撃的すぎて、割ともふもふの記憶しかないです。あとSCARSの綺麗に伸びるフェイクの声が絶品だった~!ずっとあれだけ聴いてられると思いました。アカンLOVEのサビで上体を反らし気味にバッキバキに踊ってたのも、君の腹筋と背筋はどうなってるの?!体幹の!強さ!!!!!と思って大好きでずっと見てました。楽しかったねー。

オーラスのWアンコで、中央の花道を重岡君と爆走していくのを見て、かみしげが!すっごいかみしげ!!(語彙力3)と声にならない悲鳴を上げてました。あんなすごいかみしげ初めて生で見た。一瞬、子供に返ったように、はしゃぎ倒す二人を見ていた時のオーラスの醍醐味を見ている感が凄かった。ジュニアの頃、同じ電車で帰っていたかみしげが、今はドームで一緒に並んで走ってきゃっきゃ笑っている景色は、ちょっとエモすぎてわけがわからなかったです。

そして、「CHO‐EXTACY」のラップを歌いながら、花道を行く先頭の神ちゃんの姿は、2017年一発目からドラマという個人仕事に出ていく姿と重なりました。WESTの次の幕明けの先陣を切っていく神ちゃん。かっこよすぎ。

 

濵田さんはもうね、これに尽きるといったらあれですけど、濵田さんの歌うセクサマ、めっちゃ笑いました。なんならしばらく次の歌が耳に入ってこないくらい。今もあの一連の流れを思い出すだけで笑えます。私に笑いという潤いをありがとう。本家のセクサマをしばらく笑わずに見る自信がありません。ポップアップの高さと美しさに驚き、ものまねの上手さに驚き、アクロバットの華麗さに驚いて、濵田さんへの好きがぐぐんと上がった二日間でした。何でも出来る人だなーと思ってましたが、ものまねにしても、演技にしても、歌にしても、濵田さんの持っている技術がどれも一級品だから、WESTとして出来ることの幅が広がっていくんだなーと、改めて感じました。小瀧君が言うように、あなたこそ、WESTの縁の下の力持ちであり、人生経験の豊富さからいって、精神的な主柱なのだと思います。

最後の最後、みんなで一本締めをする前に濵田さんが言ったこと、一生忘れられないです。

「この景色は、カメラで撮らないでおこう。また、肉眼で見に来よう」

それはすべてのファンとジャニーズWESTがあの瞬間に交わした約束に他なりません。他のドームにも行きたいのだと、次のドームをさらりと、でも、はっきりと口にしてくれた濵田さん、好きしかない。

 

淳太君。締めの挨拶でこちらの膝を気遣ってくれる優しさ、ありがとう。

初日の挨拶で、この場所に立つことはないんやろうな、と思ってました、と過去の本音を零した淳太君。逃げたくなる日もあったけど、もう逃げないと言ってくれた淳太君。俺らアホやけど、男やから絶対約束は守ると言ってくれた淳太君。淳太君の可愛らしい部分が終始だだもれで愛しさしかありませんでした。

オーラスの挨拶で「もう泣くな!泣きたい気持ちは分かるけど、泣くのはこれが最後」と淳太君が言った瞬間、WESTがデビューするまでの7人の日々に、鮮やかに幕が下ろされた、そう思いました。そして、ジャニーズWESTがデビューしてからの二年八ヶ月に、一つくっきりとコンマが打たれた様に思います。同じ歩幅で、と言ってくれるアイドルは数あれど、置いて行かれそうになる子がおったら、その手を取りに行くから、とまで言ってくれたのは淳太くんだけです。半端じゃない覚悟を背負った言葉です。めちゃくちゃ淳太君だなあと思いました。そういうところが可愛くてかっこよくて、淳太君がジャニーズで、WESTにいてくれて良かったと心から思います。たくさん悩んで考えて作ってくれたであろうセットリスト、本当にいっぱいの愛を受け取りました。ツアーのセットリストも楽しみにしています。これからもよろしくお願いします、私たちのブレイン様。

 

照史くん。初日でほぼ全員の予想通りに泣いた照史くん。好きしかない。

オーラスの挨拶で、小瀧君のこと、何があっても絶対守るって言ってくれたのが、本当に本当に嬉しかった。ああ、もう大丈夫って思いました。私の危惧するところはもう何もかも大丈夫だ、任せたわ、と思いました。ジャニーズWESTはもっともっと大きくなる。照史くんを見ているとふと、そんな予感に胸がいっぱいになることがあります。繊細で寂しがり屋で、なんかちょっと情緒不安で、心に闇抱えてると思われがちな照史くんですが、伝えるべきことを表に立ってバシッと伝えられる技術と心の強さは、WESTにとって強みだなあと思っています。あと、神ちゃんや濵田さんの方が対外的にダンス上手い人ってイメージが強いような気がしますが、私は実はWESTの中だと照史くんのダンスが大好きだったりします。ソロパートが多いが為、映像ではあまり踊ってるところが残らないのが寂しいというのが正直なところです。あの適度な重量を感じさせる体が、それを裏切るみたいに軽やかにステップを踏んでいるところを見るとドキドキするのです。2017年はもっともっと、踊る照史くんが見られますように。

 

流星君に関しては、まさか流星君の涙を見られるとは思っていなかったので、流星君が泣いた、という事実だけでおなかいっぱいになってしまった感があります。白い頬を伝う涙が宝石みたいに綺麗で、もふもふした衣装の袖でそれを拭う仕草は破壊的に可愛らしくて、いろんな感情が死んだあの瞬間。

初日、ペンライトの海に圧倒されたのか、「100% I Love You」で自分のパートを歌い忘れた流星君。嵐のTimeコンオーラスの東京ドームで、外周トロッコの上、お手振りに夢中で服脱ぎ忘れて潤君に怒られてた相葉さんを彷彿と思い起こさせました。うん。ファンはタレントに似るっていうしね。初日は終始いつもよりぽやぽやしているような気がして、なんだかすごく可愛かったです。

流星君のことを書こうとすると、顔が綺麗だった、かっこいい、珍しくかわいかった、でだいたい終わるポンコツな記憶すぎる…。

 

小瀧君。いつか、君が見た夢が叶う、その瞬間に立ち会えたことを、担当として嬉しく思います。

小瀧君を担当にすると決めてから、初めての現場でした。11ヶ月前、マリンメッセで見た小瀧君はまだ19歳で、そしてドームのステージに堂々と立っていた小瀧君は20歳で、そのたった一つの差を、まざまざと見せつけられた公演でした。

もう「可愛い」を武器にした小瀧君は、そこにはいませんでした。(なんとなくだけど、今後のグループの可愛い担当はかみしげな気がする…なんとなく)どの瞬間も、めちゃくちゃにかっこよかった。もの凄いスピードで、君は大人になっていくんだなあと思って、でもそこに寂しさは無くて、ただ喜びと誇らしさがありました。体つきも、筋肉も、これからどんどんついていってしっかり体が出来上がっていくにつれ、きっともっともっとダンスは良くなっていくだろうし、お歌も間違いなく上手くなっているのは「なうぇすと」を聴けば分かります。顔がとんでもなく大人っぽくて、頭の回転も早いもんだから、私は時々君のことを、淳太君や濵田さんと変わらないような年齢に見てしまうけど、やっぱりまだ20歳で、体だって心だって、まだまだ変わっていくこれからの10年を、しっかりこの目に焼き付けようと思いました。

 

小瀧君と言えば、今年の誕生日の後のなにわぶ誌(ジャニウェブ内のメンバーブログ)で、メンバーやファンに向けて、自分の素直な気持ちを綴ってくれたことが、一番印象的です。

これまでのこと、これからのこと、きっとずっと大切に握ってきたであろう大事な気持ちと記憶。

小瀧君は自身の一万字インタビューで、入所後のことをこう言っています。

 

――やっかみとかもあったんじゃない?

「ま、あったんじゃないですかねえ。何年もバックをやって、そこから上がっていくのがフツーなんで。なのにパッと入ったヤツが、いきなりマイクを持って。正直、キツイ視線で見てくる人もいましたけど、気になんなかったっすねえ」

myojo 2014年12月号

 

でもこれは、君の優しい嘘でした。

入ったばかりの時、あることないこといっぱい言われて、嫌われてばかりで、くじけそうになった、と君はあの日、ジャニウェブに書いてくれました。

気にならなかったなんて、そんなことはなくて、だってあんなに優しい君が、人の心の機微に敏感な君が、他人から向けられる悪意に気づかないわけがない。傷つかないわけがない。でもそれでも、アイドル小瀧望として、言わなくていいことは決して口にしない、どんなに甘えたキャラであっても、どんな物事でも、最後の大事な部分は、自分の人生である以上、自分でやらなくちゃいけないこと、決めなくちゃいけないことはちゃんと分かっている、聡くて強くて、優しい人。

あまりにも真っ直ぐで、どっしりしていて、この世のどんな悪意も、きっと君を傷つけることは出来ないと、私はあの日のジャニウェブを読んで、そう思いました。

君の中の、正しさと優しさとみんなから注がれる愛情で燃え続ける七色の灯火を、消すことは出来ない。何人にも、出来はしない。だから、これから先、何があっても、君は絶対大丈夫だと信じています。

 

小瀧くんはこの二日間の公演で、かっこいいダンス曲のサビやアウトロで、センターにいることが多かったように思います。かっこいいパートで抜かれたり、うっとりするようなフレーズを任されたり、そういう瞬間も多かったように記憶しています。半分くらいは小瀧担としての贔屓目で、ずっと小瀧君ばかり見てるからでしょうけども。でも、踊る小瀧君を見て、「one chance」で“アップデートした僕らは”と歌う小瀧君を見て、ああ、小瀧君の時代がくるなあと思ったんです。完全に担当としての贔屓目です。CHO‐EXTACYで神ちゃんを先頭にして花道を行くとき、神ちゃんとすぐ後ろについたツインと、さらにその後ろに控えたお兄ちゃんたちと、あの形が、WESTの次の景色へ向かう形なのかもしれないなんて思いました。

新しい道を開き、新しいファンを作っていく先頭の三人と、どんな風が吹いても揺るがない盤石の基盤をきっちり固めてくれるお兄ちゃんたちと、そしていつの時も、重岡くんがセンターで笑ってくれれば、どんな曇り空も晴れに変わる。そんな気がしています。

 

 

さあ、次はどんな夢を見ましょうか。

淳太君が今月のmyojoで、夏生まれが5人もいて、夏の曲もけっこうあるのに、夏に何もやったことないから、2017年は何かしらやりたい的なことをちらっと言っていて、それなんてオタクと同じ意見…!と思ってワクワクしました。やっぱりあなた、私たちの自慢のブレインだ!

2017年も君たちの夢が、一つでも多く叶いますように。

人生最高のクリスマスを、ありがとうございました。

 

燦然と咲き誇れ【ジャニーズWEST 1stドームコンサート 24から感謝届けます】その1

これ、初日が終わって書いてます。公開するのは全部終わったらですけどね、もう書かずにおれるかコンチクショウ!!って感じ。鉄は熱いうちに打とう!!みたいなね!

セトリは仕事人の方々にお任せするとして、私が今回のこの1stドームコンサートで思った事は、関西ジャニーズっていうのは、やっぱり松竹座なんだなーってことです。良くも悪くも。松竹座にどっしりと根を下ろした大きな樹。
閉鎖的でコンサートや舞台といった仕事の数が東京に比べて少ない、というのはデメリットなんですが、でもそれ故に、アイドルとファンの絆は比べ物にならないくらい強固なんですよね。私はジャニーズWESTの松竹座時代を知らない人間なので、全くの外野として見ていた部分もどこかにあって、でもだからこそ、最後の「ラッキィスペシャル」と「バンバンッ!」のくだりで涙腺がぶっ壊れたわけなんですけど。

この二曲に限らず、ジャニーズWESTの定番曲って松竹座から培われてきたものが多く、その時の客席の一糸乱れぬ動き、完璧なC&Rはとてもデビュー三年で作り上げられるようなものじゃないんですよね。
よく、ファンがアイドルを育てる、とは言うし、ファンの叱咤激励、愛あるダメ出し、ファンレターを糧に一人前になっていくアイドルの成長を見守るっていうのは、ジャニオタをやっててよかったって思うことの一つだし、彼らもお客さんに育ててもらったなんて言いますけど、ジャニーズWESTはどこか、彼らがファンをそういうふうに育ててきたんだなって思ったんですよね。だから彼らは私たちの望むもの、これが見たい!という曲や演出を、バチっと決めてくる。さらにその上をいく。なぜならきっとファンの方が、そういうふうに育てられてきたから。ジャニーズWESTは恐ろしいほどに圧倒的なイニシアチブ(というとちょっと強い言い方かもしれませんが、ようはライブの進行や盛り上げ方が非常に上手いということですかね)をファンに対して持っている稀有なグループである、と私は度々感じるのですが(そしてそれこそ私が感じる絶対の信頼感なんですけど)それの答えはこれじゃないかと閃くように思ったのです。

彼らがあの松竹座でデビューを夢見て、必死にやってきたことって、ファンの子という一つ一つの種のような存在に、愛と感謝と笑顔を注ぎ、綺麗な花を一緒に咲かせましょうと、互いが互いを希望という花として育てあうことだったじゃないかなって、バンバンッ‼︎を聴きながら、そう思ったんですよ。

あの揺れる一つ一つの光は、ジャニーズWESTから愛情を大事に大事に注がれて育ってきた花そのもの。そんな客席の私たちに彼らは歌うんですよ。君にありったけラッキィを届けたい、そのための無敵の7人だと。こんな喜び、こんな瞬間そう、続け永久に、燦然と咲き誇れ、と。
ラッキィスペシャルはデビューしてからの曲、バンバンッ‼︎はデビュー前からの曲で、その二曲が繋がった瞬間、新規も古参も関係なく、誰一人置いていくことなく、この人たちは何処までも全部を抱き締めて行くのだと思いました。
もうね、大丈夫、やれる!花丸!!てな感じで、ジャニーズWESTが私たちの背中に無敵っていう太鼓判を押してくれてるような気がして、あんなに明るくて力強いはっちゃけた曲なのに、こんなに愛されていいのかって、こんなに愛されてるんだって、そしてそれと同じくらい、松竹座からずっと、この人たちを愛してくれた人たちがいるんだって、この夢のように美しい景色は、ファンとアイドルの絆の証明で、私が目の当たりにしたのは確かに「愛」の一つの形なのだと、そう思ったら本当に笑って泣けて泣けてしょうがなかった。彼らが松竹座からここまで積み上げてきたものは、何一つ間違いでも無駄でもなく、今こんなにも美しい景色へと昇華したのだ、そう思ったんです。燦然と咲き誇った、色とりどりのペンライトが、本当に本当に美しかった。
あのバンバンッ‼︎の時ね、これは松竹座なんだって思ったんですよ。みんなの中にある松竹座の記憶が、この場所に重なっているような気がして、私が行ったこともないのに、みんなの中にある松竹座に連れて行ってもらったと思うんです。ドームなのに、そんなことを思うくらい、その時の空間はあったかくて優しくて、一つでした。

照史くんが初日の挨拶で言ったこと、私も同じことを思ってました。出逢ってくれてありがとう。生まれてきて、ジャニーズに出逢えて、君たちに出逢えて本当によかった。


ここまでが初日を終えた時の率直な気持ちです。
オーラスまで終えた今の気持ちは、また別の記事にします。
とりあえず明日始発の便で福岡帰ってそのまま出勤ですけど、私には無敵の七侍がついてる故に無敵なのでやり抜きます。以上!!
お疲れ様でしたっっ!!!!!!!

「その時」まで秒読みの朝に

 

hakumailove622.hatenablog.jp

 

私が上の記事を書いてから、ちょうど11か月が経ちました。

まだたったの11か月。一年も経っていないのに、あの日見た景色は、全部夢だったんじゃないか、私の都合のいい妄想だったのではないか、そんなことを思う日が増えました。

だって、正直に言うと、もうよく思い出せないのです。

あの日、小瀧君が泣いていたことすら、本当にそうだったか、今となっては自信がないのです。記憶は美化され、思い出となり、淡くぼやけて解けていく。そんなの絶対嫌なのに。

あの日、ジャニーズWEST7人が、どんな顔をしていたか、あの会場の熱気はどれほどだったか、思い出せなくなっていく。

でも一つだけ、確かなことがあります。私の胸に突き刺さったまま、抜けない気持ち。

 

奇跡のただ中にいた。

 

あの日、スタンド席に立ち尽くしたまま、ずっとそう思っていました。奇跡を見ているのだ、と。こんな瞬間は、人生でそう何度もありはしないと。

 

でも、私はその時の自分の予感を、正面から切り捨て、否定し続けてもいました。

この人たちならまた、こんな瞬間、こんな光景に、巡り合わせてくれるに違いない、と。

何度だって、奇跡を見せてくれるに違いないと。

 

 

去年の11月24日。

ジャニーズWESTが披露した「Can’t stop」

あのパフォーマンスを見た時、まだ、WESTさんのことをほとんど知らないに等しかった私は思いました。

この人たちは、ここにただアイドルとして仕事をしに来たんじゃない、と。この場所で勝負をしに来たのだ、と。

関西の面白い陽気なお兄さんたち、というイメージを覆しにかかってきた、「カッコいい」を前面に出して勝ちにきた、その内に秘めた闘志が、震えるほどめちゃくちゃにかっこよかった。

あの時から、ジャニーズWESTの攻めの姿勢には信頼しか置いてないのです。

あの一曲で、この人たちはここぞという時にやれる人たちなのだと確信したのです。

 

だから今日も、ただただ、信頼しかありません。

絶対に楽しませてくれる、想像通りの、その想像のさらに上の、美しい瞬間がきっとある。絶対にある。

絶対を見せると小瀧君が言うから、私も言い切るよ。

君が見た夢のその先の景色が今日、見られるよ。

その時、小瀧君が、ジャニーズWESTみんなが、どんな顔を見せてくれるのか、楽しみにしてるんだよ。

 

ああ、届きますように。

ありったけの「ありがとう」と「大好き」が、君たちにもう一度、届きますように。

 

無敵のシンメ 松松の話

11月15日。退勤した職場で私は悲鳴を上げそうになった。

事務所からのメール。光一君主演の舞台「Endless SHOCK」公演決定の文字。その出演者の中に、松田元太と松倉海斗の名前を見つけたからだ。

松松が揃ってSHOCKの舞台に立つ。たったそれだけのことが、どれほどの奇跡か。たったそれだけのことで、どれだけ嬉しかったか。正直、今年事務所から送られてきたメールの中で、ジャニーズWESTドームコン決定のお知らせと並ぶくらい嬉しかった。一大事だった。

 

そもそも、私が松松の存在を知るきっかけになったのは、2015年の「ジャニーズ・ワールド」まで遡る。初日の幕が上がると同時に流れてきたレポの中に頻出する「ダンスが上手い子がいると思ったら松田元太」「松田元太のダンスがヤバい」の文字。

歴戦のジャニオタがこぞって唸る松田元太という子は、一体どんなジュニアなんだろう。初めはそういう単純な興味だった。調べていくとどうやらこの子にはシンメの子がいるらしかった。松倉海斗くん。二人そろって松松と呼ばれていて、松松に関するまとめ記事もあるほどで、それなりの人気を博していることはすぐに知れた。

その頃読んだ記事で一番の衝撃だったのは、2015年の「~SHOCK」大阪公演に出ていた松倉君を見に、元太君が一人で大阪に行ったというエピソードだった。

 

シンメが活躍してると嬉しくて泣いちゃう元太君。幕が上がっては泣いて、帰りの新大阪駅で電話しながら泣いてしまった元太君。なんてこった。こんなシンメが存在するなんて…! え?オタクの都合のいい妄想じゃないんですよね??と雑誌を何度も確認した。正直、もうこのエピソードだけでお腹いっぱい、松松がいいシンメだっていうことは十分わかったよ、と思った。いや、そうやって自分を満足させて、ブレーキを掛けたかったのだ。今までデビュー組しか担当していない私にとって、ジュニアという世界は、果てのないブラックホールであり未知の銀河だった。そこに飛び込むのは色んな意味でハードルが高すぎると思っていた。現場はほぼほぼ東京、大阪だし、地方にくる可能性は皆無。現場の箱のサイズは小さく、チケットの当選倍率は推して知るべし。ジュニア担の平均年齢だって、軽く見積もっても私の実年齢より一回りは下だろう。そんな若い子たちの中に飛び込むなんて恐ろしすぎる。しかも、デビューしてるわけじゃない、明日も知れない存在のジュニアに、担当を作るなんて、考えただけで無謀だと思えた。

 

でも、デビューしてるから明日があるなんて、それもまた幻想であることは、去年のあの日、田口君が証明した。証明してしまった。

だったらもう、関係ないじゃないか、と思ったのだ。デビューしていても、していなくても、彼らはそうと決めてしまったら、自分の足でステージを降りて行く。その日が絶対来るなんて思ってないけれど、絶対来ないという保証もなくなった世界で、確かなことは、今しかないということだけだった。もう何かを後悔しないために、会いたい人には会いに行くし、伝えられることは伝えられるうちに伝える。やれるようにやるしかないのだと思った。「いつか」なんて、そんなこと、そう思っている間は永遠にやってこない。

 

チャンスがあれば、松松が揃って踊るところを、絶対見に行こう。そう思った。

 

その知らせは、春にやってきた。

「サマステ ジャニーズキングダム」公演決定。その公演スケジュールの中に並ぶ、松田元太・松倉海斗の文字。ここしか行けないと申し込んだ、その一公演に当選した。

 

真夏の最中。たぶん暑かった。どのくらい暑かったか、それはもうあまりよく覚えていないくせに、あの日見た二人のことは今も鮮明に覚えている。

名前をコールされ、「LOVE YOU ONLY」のイントロと同時に、二階のバルコニーに飛び出してきた松松を振り仰いだ瞬間の、あの衝撃。

…なに、あのかわいい生き物×2は!!!!!

人生で初めて「可愛い」という概念に物理的に殴られたような、そんな衝撃だった。頭の中を埋め尽くす「かわいい!!」の文字。いや、なに? かわいいぞ? え、きいてない。わたし、松松がこんなに可愛いなんて聞いてない!! あんな可愛い生き物放し飼いにしておいて大丈夫?攫われたりしない?だいじょうぶ??

私の思考は公演中ずっと大丈夫じゃなかった。シンメとはかくあるべき、とでもいうような、圧倒的な唯一無二の双子感にやられたと思った。微妙に違うカラーリングが施された髪も、表情も、体の使い方も、それぞれに見たら個性はちゃんとあるのに、二人を同時に視界に収めた時、どう見ても双子!そっくり!!と脳みそが錯覚して混乱するような、ダンスと波長のシンクロ率。

日帰りだったけど、東京まで行ってよかったと本当に思ったし、次に会えるのは冬か、もしかすると一年後の夏かなー、ゆるっと成長を楽しめたらいいなーなんて思っていた。そう思っていたのに。

 

その一か月後、松松は博多にいた。そう、私の住んでいる福岡にきていた。

最初に博多で松松の目撃情報が流れたのは「ジャニーズ・フューチャー・ワールド」初日の数日前だった。出るなんてきいてないぞ…!と思いながら、あくまでも噂の域を出ないその情報の真偽を確かめるような心地で、初日のレポを待っていた。松松はいた。二人一緒だった。一公演だけ行こうと決めていた博多座に、はち切れそうな期待を携えて向かった。

ステージの上。髪を黒く染め、歌い踊り、お芝居をする二人を見て、私は座席の上で震えた。

まだ、あの夏の日から一か月しか経っていないのに、別人みたいだと思った。ただただ可愛い、とても可愛い、すこぶる可愛いという印象しかなかった二人は、めちゃくちゃかっこよくなっていた。

いや、いやいやいや、待ってくれ、男の子ってこんなハイスピードで成長する?? 嘘でしょ、超かっこいい、やめてかっこいい、こんなの聞いてない!(二回目)

なんて舞台映えする子達なんだろうかと思った。そして、シンメ位置で松松が踊る時の、あの泣きたくなるような無敵感は何なんだろうとも思った。

もっと二人が踊るところを見ていたかった。「ジャニーズ・オールスターズ・アイランド」に軽率に申し込んでいた。

 

そして今月、「~SHOCK」出演決定の週の金曜日。この日のMステは五周年記念のアルバムを出したSexy Zoneがいて、私はそれを楽しみに待っていた。

なのに、いざそのパフォーマンスが始まったと思ったら、私の視線はセクゾじゃなくて、その後ろを追っていた。私の眼は、自然と松松を見つけてしまっていた。ケンティが「セクシーサンキュー!」とキメているその時も、顔面人間国宝の勝利君がタモリさんに愛の告白をしているその時も、私はその後ろに揃って控えた松松を食い入るように見ていた。ピントが合わないな、ちくしょうと思いながら(当たり前)

勝利君が「Sexy rose…」と暴力的に美しい横顔で囁いた瞬間、やっと我に返ると同時に、もうむりだ、と思った。こんなに好きだと思う気持ちを、抑えておくのは無理だった。見て見ぬふりをするのは限界だった。もっと前で踊る松松が見たかった。数秒バックに映りこむジュニアを見るためだけに、録画を狂ったようにリピートする日がこようとは、今でもまだ信じられない。

 

松松の魅力は、と問われたら、お互いがお互いを信頼し、誇りに思っているというのが、空気で伝わってくるところ、だと思う。私が勝手に思ってることだけども、二人は隣にいることで、互いが互いを強くさせている気がする。大事な君のシンメだから、恥かしいパフォーマンスは出来ない、という自分を鼓舞する気持ち。誰より信頼する君が隣にいるから、恐れるものは何もない、という自信。そういうものが、二人の間には見えるような気がして、泣きそうになるよ。

 

 

一人では信じられないことも、二人いれば信じられる。夢や希望、そういうものの存在を。

二人でなら、どこまでだってきっと行ける。

そういう夢を、私は二人にみる。

どうか、君たちのデビューという夢が、絶対に叶いますように。

拝啓、相葉雅紀様 ~紅白歌合戦司会決定に寄せて~

私が相葉さんを知ったのは、2008年の夏でした。

あの年は、あれから八年が経った今考えてみても、一番相葉さんがゆっくり過ごせた年だったんじゃないかなと思います。ぶっちゃけ、レギュラー以外の仕事が無かったよね。他のメンバーは、やれオリンピックのキャスターだ、初の連ドラだ、映画だって、それぞれ個人仕事があった中で、相葉さんだけが新しいお仕事がもらえていませんでした。もちろん、その年の四月にはTBSで今は無き「ひみつのアラシちゃん」が始まったし、夏には24時間テレビも、初めての国立ライブも、初の五大ドームツアーも、二度目のアジアツアーもあった年だけど、それは「嵐」としての活動で、個人では本当にレギュラー以外これといって何もなかったと記憶しています。あの年はずっと、ほっぺたがふっくらぷくぷくで、幸か不幸か、もうあんなふうにはならないんだろうなあ。

その年に買った「アラシゴト」という本。五周年の節目に出されたメンバーの一万字インタビューが載っているこの本を、私は当時、貪るように何度も何度も読みました。そこに書かれていた相葉さんの人となりに衝撃を受けて、私の世界は180度変わってしまった。この本がなかったら、私、相葉さんのこと好きにならなかったと思うし、ジャニーズという世界を知らないで、ずっと、生まれてきたことを後悔したままだったんだろうなと思います。

むしろ、ジャニーズなんて、と敬遠していたあの頃。相葉さんは鮮烈な光と笑顔を携えて、私の世界に現れました。あの頃の私の世界は、そりゃもう終わっていました。社会人二年目。信頼していた上司が辞めて、ちょっとこの人生理的に無理だ、という上司の下に配属されて、家族も友達もいない土地に一人。誰かに助けてと言いたくて、でも誰に言えばいいのかわからなくて、助けてくれる人なんて誰もいないと勝手に思い込んでいて、そういう自分が世界一嫌いで、そんな「世界一嫌いな自分」なんていう存在を、誰も愛してくれるはずがなくて、でも誰かに愛されたくて、それまでも、割と死にたがりな人間だったけれど、あの年の人生のどん詰まり感は最高潮だったように思います。生きることに何の楽しみも見いだせなかった。ゴールがないトンネルを、ずっと掘り続けているような毎日。自分自身が末端から削り取られて、粉々になって磨り減っていくような感覚。それでも、どうしようもない。生きたくもないが、死ねるわけもない。もうこのまま、二度と目が覚めなければいいのにと思って眠った夜が、どれだけあったか。あの亡くなった電通社員の人のこと、他人事じゃなかった。あれは一歩間違えたら私だった。私も、もうどうしようもなくなったら死ねばいいと思ってた。そこまではとりあえず大丈夫だから頑張れる頑張ろうって思ってた。死ぬっていうことが、いつか絶対に訪れるたしかな終わりが、あの頃の私に残ってた、唯一の希望だった。生きることの希望が「死」だなんてすごい矛盾だ。ぜんぜん大丈夫なんかじゃなかったんだよな、今にして思えば。

そういう世界に、相葉さんと嵐は現れたんだよ。厚い雲を吹き飛ばすみたいに、私の世界に光を入れてくれた。ほら、世界はこんなに広いでしょう? 眩しいでしょう? 絶対楽しいから、もっとすごい景色が世界にはたくさんあるから、もう一人じゃないから、一緒に見に行こうよって、手を引っ張ってくれたんだよ。

「アラシゴト」を読んで衝撃を受けたっていったけど、それは私が思ってた相葉さんと実際の相葉さんに、ものすごい落差があったから。だって相葉さんって、超アイドルだったでしょう? にこにこしながら手を振って、楽しそうに歌って踊って、きゃーきゃー言われて、それでお金をもらえるなんて、アイドルって本当にチャラチャラした仕事だなって、相葉さん=そういうチャラチャラした人ってずっと思ってました。ねえ、そう、私ジャニーズって嫌いだったんだよ。それが今や、こうなるわけ。アイドル本当に尊い…って涙を流して拝むような人間になるわけ(笑)こうなるきっかけを、道筋を、相葉さんが作ったの。今の私のほとんどを、相葉さんと嵐が、作ったんだよ。

ずっとチャラチャラした人って思ってたから(そしてそれはアイドルの見せ方として、とても正しいことなんだけど)アラシゴトの中で、仕事に対する真面目な気持ちを語る相葉さんが、本当に衝撃的だったんです。

 

天才!志村どうぶつ園」も最初の頃はすごく迷ってたんだよ。毎回ほとんどしゃべれなくて。

~中略~

嵐の中でしゃべるのは自分の役割もハッキリしてるし、安心だった。でもそうなるには、それなりに時間がかかったわけだから。まったく初めての場所に、たった一人ほうりこまれて、自分の居場所を一から作ってかなきゃならないことの大変さ、そのむずかしさをこの番組で思い知った。

 

現在の、いつでもどこでも元気で明るくて笑顔の相葉ちゃんっていうパブリックイメージとは、全然似ても似つかない相葉さんが、そこにいました。もがいて、もがいて、強くなろうとしていた、当時まだ22、3歳の相葉さん。あの頃の私よりも若い頃の相葉さんが、私が勝手にチャラチャラしてる輩と断罪していた人が、実はめちゃくちゃ真面目で一生懸命生きている人だったという衝撃の炎が、一瞬でその時の私を焼き尽くしました。

 

でもさ、それをやれなきゃ意味がないんだよね。そういう状況でも“きっちりやれる”っていうのが、この仕事をしていくうえでの最低ライン。そこで苦労してる場合じゃないんだよ、本当は。

 

「結果がすべてじゃない。頑張ることに意義がある」って思ってたの。でもがんばるのってあたりまえのことじゃない? どんな仕事をしていても、男でも女でも。「がんばってない」状態のほうがおかしいんだってことに気づいた。

それと、いくら自分ががんばってるつもりでも、結果がついてこなければ、それは単なる「つもり」でしかないってことも。それはすごいカッコ悪いことだよね。そんな人、だれも信用しないと思った。きちんと結果を出している人に比べたら、まだまだ「がんばってる」とはいえないってことなんだから。

 

驚くくらい、呆れるくらい、心配になるくらい、ストイックな人だった。

天真爛漫で、何にも考えてないようにみせているその裏で、これでもかというくらいめいっぱい色んなことを考え、その時出来る最善を全力でやりきる人だった。きっと、ジャニーズの第一線に立ち続けてる人たちって、デビューしてるしてないに関わらず、みんなそうなんだと思う。馬鹿みたいに他人に優しく、自分に厳しい。嫉妬って、この世で一番いらない感情だと思う。そんなことをさらっと言えてしまえる人。あらゆる極彩色を飲み込んでなお、まだ目に痛いほど白い。そんな人。だから好きになった。目標だった。人として憧れて尊敬して、大好きで、ねえ、貴方にみたいになりたいって、そう心から思える人に出会えた、それだけで、私の人生は最高だ。

私、頑張ってないじゃんって思ったんだよ。はじめて、上の文章に出会った時、あ、私全然頑張ってない、超ダサいって。自分の人生早々に諦めて、環境とか、家族とか、そういうもののせいにして、自分が世界一不幸って顔して、超ダサいわって。こんなかっこ悪い自分で、嵐に会いに行くなんて出来ないって思って、それからかなあ、ちゃんと自分の人生を最高に生き切ろうと思うようになった。誰かの為じゃない、自分のために、自分の人生を、しっかり生きる。そういう当たり前のことを生まれて初めて自覚した2008年の終わり、相葉さん三度目の舞台「グリーンフィンガーズ」主演の第一報を受けて、私はそれまで「アイドルのファンクラブに入るのは、ミーハーだと思われそうで、ちょっとハードル高いなー」と思っていた自意識を軽く飛び越えて、人生で初めてファンクラブなるものに入会しました。振込には間に合ったけど、結局全落だったんだよなー、この時。

 

2009年、十周年の年。春の舞台以降、相変わらず個人仕事の話は何もなくて、まあ、相葉さんは演技班じゃないしなー、でも相葉さんだけ主演ドラマがないのもなんかちょっと寂しい…と思っていた矢先、秋ドラマ「マイガール」主演決定。十周年ってすごいんだなって、この時はしみじみ思いました。ここから、相葉さんも嵐も、軒並み忙しさが加速していって、相葉さんはこの秋以降、ほっぺがぷくぷくを取り戻すことはついになく、マイガールの後すぐ、五人ドラマ「最後の約束」にインし、初めて紅白出場。生放送が苦手な相葉さん、大丈夫かなあってテレビの前でドキドキしたっけ。2010年春にまた舞台「君と見る千の夢」をやってね。あの時のグローブ座で見た相葉さんが、私が今までで一番近くで見た相葉さんだよ。「宿題くん」が終わって「嵐にしやがれ」が始まって、嵐レギュラー三本に「しむらどうぶつ園」の計4本のバラエティと一本のラジオを抱えるようになったよね。夏からツアーで、2011年にはついに二度目の主演ドラマ「バーテンダー」が決まって、こうして文章にしたらよくわかんないけど、当時は十周年からずっと走り続けてるような気分だった。

そして震災だ。その後、夏から始まる予定だったツアーの前半日程の東京ドーム公演が「ワクワク学校」というイベントに変わり、そこまでで相葉さんは本当に、自分を出して出して出し尽くしてしまった。ワクワク学校のあと、二回目の肺気胸で入院。

夜中にツイッターがざわざわしてさ、ソースがなかったからそのまま眠って、翌朝やっぱり入院したんだって知って、でも不思議とその時は動揺しなかったよ。職場でその当時いたスマオタの人に「相葉君だいじょうぶ?」ってきかれて「大丈夫ですよ」って言ったのは、今でもよく覚えてる。だって、どうしようもないじゃないか。大丈夫って信じる以外に何が出来た? 一度目の入院の時、周りに迷惑かけた辛さを、嵐をクビになるのかなって毎日不安だったっていう人が、また入院してしまって、今一番自分を許せないのは相葉さん自身だろうに、私に何が出来た? 信じる以外に何が。大丈夫って信じる以外に何が、何もできなかった。ただいつものように日常を回すことしか出来なかった。ファンってこういう時何も出来ないんだ、信じる以外何もないんだって思い知ったし、本当にずっと走り続けてたから、これはちょっと休みなさいって神様がいってくれてんじゃないかなって真剣に思った。

 

退院後、すぐに出演したミュージックステーション。アルバムのリード曲「まだ見ぬ世界へ」を引っ提げて、シンプルな黒の衣装で登場したあの日の相葉さんは、それまで見たどの瞬間の相葉さんより特別かっこよかった。退院おめでとうってみんなから言ってもらって、なんだか退院特別番組みたいだった。

2012年も映画「日本列島 いきものたちの物語」のナビゲーターをやらせてもらってたから、そのプロモーションからスタートしたし、その後すぐ「三毛猫ホームズの推理」「ワクワク学校」「24時間テレビ」と、息つく暇がなかった。この頃になると、相葉さんにドラマの仕事がきても、素直に喜べなくなってた。もともと相葉さんが演技に向いてると思ってなかったし、やっぱりドラマって体力とか体重を持っていかれるから、目に見えてげっそりしてくのがほんとになあ、しんどかった。本人はいたって元気そうだったけど、見てるこっちはまだ先の入院が忘れられなくて、心配で、でも仕事は相変わらず多くて、今だったら売れてる!ありがたい!って喜べるんだろうけど、当時はなんで相葉さんばっかり…って思ってたかな、この頃。贅沢な悩み…!!別に相葉さんばっかりってわけじゃなかったにしてもドラマ仕事が定期的で途切れなかったんだよなあ。2013年も「ラストホープ」から始まったし、「相葉マナブ」もこの年の春からだ。またレギュラー増えるの?!と思って嬉しいやら心配やら、それでも相葉さんは元気に全部の仕事をこなしてた。この頃は一時期感じてた「いっぱいいっぱいな空気」はもうなくて、相葉さんのペースで仕事をやれてた時期だったように思う。

2014年、嵐デビュー15周年。ついに個人でも映画主演の話がきて、嬉しかったなあ。嵐になって個人で映画やってないの、相葉さんだけだったから、嬉しかった。

 

相葉さんは、ドラマの主演も映画の主演も、嵐になってからは一番最後だった。

ニノや潤君は早くからドラマ班で世間から注目される機会もあったし、翔ちゃんもZEROの出演が決まり、ジャニーズで初めて報道の世界へ進む道を作った。大野さんも、2008年のドラマ「魔王」で急速に注目されるようになっていたし、彼が歌も踊りもずば抜けたセンスを持っていることは、一度映像を見れば分かる。私が出会った2008年当時、なんとなくバラエティの人でしかなかった相葉さんは、その時の私の眼には「嵐の中でも一番これといって何もない人」だった。街頭インタビューとかでも決まって大野さんと並んで最後まで、非ジャニオタの人からは名前が出てこないような、そういう人だった。

天然とかおバカとかいうパブリックイメージは強いのに、実はめちゃくちゃ人見知りで体も弱くて、デビューしてからも月一並みの頻度で扁桃腺腫らせて高熱だしながら、それでも黙って仕事場では「明るく元気なあいばちゃん」でいるような人だった。デビューから10年が経とうとしていた2008年当時でさえ、生放送の歌番組ではやっぱり緊張を隠せないようなぎこちなさを見せることがあったんです。

 

そんな相葉さんがさあ、あの天下のNHKの、紅白歌合戦の司会をやるんだって。嵐五人でじゃなくて、一人でやるんだって。

ねえ、どうなってんの、2016年。

 

相葉さんが、公式HPに寄せたメッセージ。

何度読んでも泣いてしまう。ここに書いたような、これまで私が見てきた相葉さんの8年間が蘇ってきて、胸がいっぱいになって泣いてしまう。だってあの人、おしゃれイズムに一人ゲストで呼ばれて、ゲストなのに緊張のせいでライブ中かな?ってくらい汗びっしょりかきまくってたような人なんだよ? そんな人が国民的な歌番組の司会を!一人で!!やるんだよ?! とんでもないぞ2016年!!

相葉さんの口から「悩みました」っていう言葉が出るなんて、それは相当悩んで悩んで考えたってことだと思うし、それこそ、清水の舞台から飛び降りるくらいの覚悟で受けた仕事だと思うと、本当に心から震えて涙が出る。驚きと少しの心配と、でも、圧倒的な嬉しさで、叫びだしたくなる。実はなんでもソツなくこなしてしまう器用さと度胸がある大野さんじゃなく、生放送の司会をグループで一番数こなしてる確かな実績を持ってる翔ちゃんでもなく、トークが抜群に上手で年配うけもいいニノでもなく、ぶっちぎりで存在に華がある潤君でもなく、お歌がめちゃくちゃ上手いわけでもない、踊りがめちゃくちゃうまいわけでもない、おしゃべりがめちゃくちゃ上手なわけでもない、でも、誰からも愛されて、誰にでも「あいばちゃん」って呼んでもらえるような、国民の友達みたいになった相葉さんにオファーがきたことが、私は本当に本当に本当にうれしい。

すごいことだ。誇らしいことだ。こんな未来がくるなんて、全然思ったこともなかった。

相葉さんにって言ってもらえるだけの実績と実力と信頼を、着実に積んできた、相葉さんが歩いてきた道は全部間違いじゃなかった。無駄じゃなかった。相葉さんの今までの全部の頑張りが集約されて今、満開の花を咲かせる。それは人を笑顔にさせる、あったかくて優しい色をした、力強く咲き誇る花だと思う。

 

 

相葉さん、今日まで毎日アイドルでいてくれてありがとう。もう相葉さんは、私の担当じゃないけれど、私をここまで歩かせた、その一歩目が相葉さんの力なのは、これからも一生ずっと変わりません。大好きだよ。がんばって。わたしもがんばるね。

 

きみはぼくのほし【A.B.C-Z SLT Concert 10/1-2】

7/30の「ハシツアーズ」で幕を開けた私の夏の現場は、この10月のえびコンでようやく終わりをむかえた。

コンサートの余韻が覚め、この夏を反芻しながら思うのは、私が自覚していたよりずっと、この2016年の夏の端々に、A.B.C-Zがいた、ということだ。

 

 

ハシツアーズが終わって、どうしてもあと一回は入りたかったけど、どう考えてもチケ代+遠征費を絞り出す余裕がなくて、でもすごく会いたくて寂しくて、すぐ去年のアリサマコンを買って、でも足りなくて、それからワーホリの旅を買って、それでもまだ足りなくて、Moonlight walkerを買って、ずっと特典のドキュメンタリーを見て、そうやってずっと、A.B.C-Zを、りょうちゃんの声とダンスを欲し続けていた夏だった。

彼らを知ったきっかけが3月のダヴィンチの特集記事だとすれば、こんなにも私がA.B.C-Zを求め、りょうちゃんに恋焦がれるようになってしまったその一番強い引力は、何だったんだろうと考えてみた。

ダヴィンチのこともまああるけど、でも「ああ、好き」と理解するより早く感情が動いたのは「Take a 5 train」のメイキング映像なんだと思う。

 

今までも僕たちがファンを色んな所に連れてったつもりだし、このCDでもっとどっか行こうよって気持ちもある。もっと大きい場所へついてきて欲しいし、A.B.C-Zのトレインに乗って欲しい。

まあ、俺のおんぶでもいいけど。

 

画面の向こう、そんなことをつるっと言って、ちょっとだけ照れたように笑うりょうちゃんを見る度、好きだって思った。なんて、可愛くて真っ直ぐな子なんだろうって。眩しすぎるだろって。だいたい、俺のおんぶでもいいけど…って!おんぶって!!!!かわいいがすぎる!!!!!!

りょうちゃんはその言葉通り、私をA.B.C-Zの世界に連れていってくれた。それはめくるめくように胸が踊る世界だった。

 

 

 

初めてのA.B.C-Zのコンサートは、あっという間だった。いやーもう体感時間30分くらいでは??と思うくらい。楽しくてかっこよくて美しくて、強かった。

そう、強かった。どのグループよりも圧倒的に強いのだ、この人たちは。それは精神的な強さであり、身体的な強さでもあり、今に命がけで立ち向かう時、人は、人の魂はかくも燦然と輝くのだと、そのことをまざまざと見せつけられた3公演だったと思う。

A.B.C-Zのコンサートは、シンプルだ。去年のアリサマコンと比べても、今年のはよりシンプルだったように思う。言い方を選ばなければ、簡素だし寂しい。潤沢なコンサート資金が巡ってこないことは「派手なセットは組めないし」といつか郁人君が言っていたことからも窺い知れる。落下物は最後の銀テだけだったし、特効だって、一番の見せ場だった「Fly a Flag」の炎と爆薬だけだったし、ジャニーズのコンサートでは定番と言ってもいいレーザーだって存在しなかった。

箱がアリーナサイズだということを鑑みても、少なすぎるのでは?と思うくらい派手な演出はほとんどなく、あってもフライングだし、それも人力で一人につき3人のスタッフがついて、ワイヤーをみんなで引っ張ったり緩めたりして飛ばすっていう、技術と腕力と信頼関係の上に初めて成り立つような演出だった。

でも、彼らは美しかった。A.B.C-Zに、凝ったごてごてした飾りはいらなかった。いや、あったらあったでそりゃ喜ぶし、もっと輝いただろうし、演出の幅も、彼らのやりたいことももっと他に、あったのかもしれない。でも、ただシンプルな照明の下、歌い、踊り、宙を舞うA.B.C-Zの五人は、それはそれは美しかった。人が、その持って生まれた身体だけで表現し得る美しさの極みだと思った。

前半のブロックで言えば、昔の曲をアレンジしたアクセントダンスは力強さとメンバーのダンスのシンクロ率の高さが光る演出だったし、途中センステでバレエっぽい振りで踊る戸塚さん、五関さん、塚田君の軽やかさは、背中に羽根が?って思わず瞼擦りそうになるくらい優雅だったし、そこから続くSecret Loverは大人っぽい歌詞と振り付けで会場中を端から抱きつぶすような勢いのかっこよさだった。花言葉の時はピンク色の照明が、中央から外周へ向けて、本当に花が開いていくように動いていて綺麗だったし、五関さんのソロの光の使い方は五関さんのこだわりとセンスが光っていて、特にセンステに降り注ぐ白光は、あの日ハシツアで見た照明の美しさを彷彿とさせるものだった。

終盤、屋良くんが振り付けてくれたFly a Flag。踊る五人の纏う衣装は、白地に金で星とグループ名がプリントされたもので、どちらかといえばシンプルな素材だったにも関わらず、眩しくて、ただただ眩しくて、人が何かに本当に心を込める時、こんなにも内側から輝くのだと、これは命が躍動する美しさだと、頭じゃなくて心が先に感じて震えて、私の中に忘れられない景色として刻み込まれてしまった。

これまでずっと、アイドルは、派手でかっこいい衣装を着てなんぼだと思っていたし、それを着こなせるのがアイドルだとも思うし、彼らにもっと豪華な衣装を着て欲しいという願望が、もっと派手で凝った演出をして欲しいという欲が、ないと言えば嘘になるけれど、でも、私が大阪の、あのステージの上で見たA.B.C-Zは、そういうものと一線を画す,唯一無二のグループだった。

「アイドルらしさ」を着込んでいく他のアイドルに対して、彼らはステージの上でどんどん何かを脱ぎ捨てていくような気がした。それは、目に見えないしがらみのようなもの、どこかアイドルであるが故、ついて回る制約、そのつもりがなくても掛けられてしまう色眼鏡、そういうものだったように思う。アイドルだけど、ただアイドルとしてじゃなく、私と同じに今を生きる人間として、客席の一人一人と向き合ってくれているような、そんな温かさと強さが、A.B.C-Zにはあるように思えた。

 

Fly a Flagを踊るりょうちゃんを見ながら、アイドルの、ジャニーズの、A.B.C-Zのセンター橋本良亮が、ただ命を極限まで燃やして、必死に歌い踊るその間、まっさらな人間・橋本良亮になっていく、と思ってた。降って沸いたように、好きだ、と思った。好き。好き。大好き。私はこの人が好き。がんばって。その強さと美しさが好きだ。いつも自分に挑み続ける厳しさが好きだ。四人のお兄ちゃんに甘えたくない、胸を張って堂々とA.B.C-Zのセンターですって言える自分でありたいって、自分を律する、鼓舞する、追い込む、そんなりょうちゃんが大好きなんだ。1日の日、ほぼほぼステージ真横のスタンド席で、Cメロ前、数秒、後ろを向く間、もうそのまま死んじゃうんじゃないかっていうぐらいきつそうな顔をしてるのが見えて、でも次に正面を向いた時、なんでもないっていう顔で、いつものかっこいいセンター橋本良亮になっていて、嗚呼、プロだ、アイドルだ、彼はこの場所で歌い踊る為にここにいるって、そう世界に求められているって、馬鹿みたいにそのことを繰り返し思った。そんなりょうちゃんの今が、堪らなく誇らしくて、愛しかった。

 

2日の一部。FaFが終わって、上がった息を整える間もなく、りょうちゃんはセンステに向かって歩きながら喋らなくちゃいけなくて、会場に本日はありがとうございましたって言う声は、それはもう、かすかすで震えていて、センステについてぜえはあしながら、きびしいですって、それは見れば分かるよ!っていうことを言うもんだから、りょうちゃんらしいなと思って、少し笑ってしまったんだけど、続いた言葉で呼吸を忘れて呆然と立ち尽くしてしまった。

 

「きびしいです、つらいです、でも、A.B.C-Zは頑張ってます。みんなに見てほしいから。だから、みなさん死ぬまで応援してください」

 

そう言って、深々とお辞儀したりょうちゃんを、わたし、一生忘れないと思うんだ。

みんなに見てほしいから。

その一言が、するんって私の胸に落ちてきた。なんて真っ直ぐで、切実で、温かくて、愛しい。ねえ、ただただ愛しい。

りょうちゃんはいつも、その時思ったこと、感じたことを、そのまま言葉にして、私にくれる。かっこつけたいだとか、こう言わなくちゃいけないだとか、アイドルだからとか、センターだからとか、そういう外聞なんて関係なくて、そうやってりょうちゃんの口から零れ落ちた言葉が、私の中でまだ、星の様に光って、この胸をこんなに温かくさせて、何度でも私を泣かせる。

 

A.B.C-Zが掲げる、他のグループの追随を許さない武器はアクロバットで、もしかするとそれは、ずっと握りしめていけるものじゃないのかもしれない。

今回のトランポリンも、塚田君が1日、2日一部と失敗して、でももう一回挑戦して、でもやっぱり駄目だった2日の一部、そんなにまで頑張らなくてもいいじゃないかって思って、でも本人たちがやりたいなら応援したいし、でもそんな辛そうで、苦しそうで、一歩間違えたら怪我するようなこと、アクロバットなんてそんなに必死にしがみつかなくても、君たちには歌もダンスもあるんだから、それだけでも十分素晴らしいんだから、それでいいじゃないかって思うこともあるよ、正直ね。アクロバットなんて、長く続かないよ、出来っこないよって言う人もいるのは知ってるし、それもそれで本当だと思う。どうしたって、歳をとれば、体は若い時ほど動かなくなるし、無理だってきかなくなる。

でも、だけど、そうだけど、でも。

これから先、アクロバットが得意なグループ、という看板をどうしていくのか、決めるのは彼らだし、私はどんな決断であっても、ずっと頑張れって叫び続けるんだろうって思った。もしかしたら、彼らはアクロバットに変わる武器を、そのうち手にするかもしれないし、ただひたすら愚直に、それをやり続けるかもしれない。わからない。でも、A.B.C-Zなら決めたことはやり抜くと思う。その強さと覚悟が、彼らにはあると信じてるから。私に出来ることなんて、そう信じて、光を信じて、頑張れって、大好きだよって、叫び続けることぐらいだ。

 

もしまた迷っても向こうへ

伸ばす手と踏み出す足が

何処まで行けるかなんてのは

知らない 聞かない

 

君は、君たちは、私の星。

そしてこれは、まだ始まったばかりの、星を辿る旅路という軌道。

 

 絶対に忘れられない夏を、ありがとうございました。