Come Back…?の中毒性と八乙女光の放つ世界

絶賛smartリピート中。「Come Back…?」から抜け出せない一週間だった。

 

聞き惚れるピアノの旋律に耳を澄ませた次の瞬間から、濃密さを加速させていく音色に心臓を鷲掴みにされた。

なんだこれ。こんな曲が、JUMPにあったなんて! 歌詞カードをみて、驚きは畏怖にすら変わる。

これをあの光くんが作ったの?! マジか?!?!

私の中で地殻変動が起きた。衝撃と驚きで息が詰まる。これはもうギャップという言葉では到底言い表せない。

 

私の中で光くんのイメージは、実は金八先生の時の役のイメージがとても強くて、あの可愛かった小さい子がまあ、大きく育ったなあ、というのが下地にある。そして、周りを喜ばせたり、笑顔にさせたりするのが好きで、モノマネの引き出しが多くて、下ネタや猫が苦手で、どちらかとバラエティよりの演技班だと思っていた。まさに光、という名前のまま、陽だまりのように他人に寄り添うような人。

それが、どうだ? このCome Back…?の世界観。騙し合う男女の恋愛をこんなにドラマチックな歌詞でぶつけてくる光くんの想像力と語彙力、内に秘めた引き出しの多さにひっくり返るしかなかった。

以下、もはや一億回は八乙女担の間で語られつくしたであろうCome back…?の歌詞に関して、私の感じていることを書いてみた。

 

「鈍」「廃」「奇」「美」「乱」

歌詞の中で一番私がやられた! 八乙女光、何者?! となったのが、上の一節から続く韻を踏んだ歌詞だ。

ここはもう音ありきで作られた最上級の言葉遊びだなと思う。この音にこの漢字をチョイスするとか、こんな発想、どこからでてくるの光くん……! 痺れる…!

さらにこれらの漢字の印象が、この世界の荒廃性と不穏さを無意識に想像させるフラグにもなっている。それが故、この歌詞を知ってから聞くイントロは、どこか美しいのに不気味な始まりを想起させ、より一層聴き応えのある曲になってくる。

 

…?のもたらす余白と思考の隙間

タイトルにも入っている「…?」

一番のCome backのあとは「…」だけだが、二番のCome backのあとは「…?」になっている。この違いを考え始めるとまたたまらなく面白い。

そもそもCome Back?ではないところがこの曲に一段と深みを与えているように感じる。「…」がもたらす刹那の空白。そこに落ちるであろう息遣いを、私は曲の中から聞き取ろうと躍起になってしまう。Come Back?だと即答で少し軽い疑問のような印象があるが「…」が間に入ることで、この疑問の迷宮性が増している。戻ってくる? 本当に? それが出来る?という試すような、躊躇うようなニュアンスを、わたしはこの「…」に感じるのだ。

 

一番のCome backは疑問符がない。これは彼女の台詞だと思った。

別れを切り出した彼氏に対して、帰ってきなよ、という彼女の強気の態度。体に触れた彼女のなじんだ指先の温度に揺らぐ、さようならの決意。

ところが二番になると立場が逆転する。

二番のCome backは疑問符がついている。

帰ってこないの?という彼女の微かな不安がこの…?には滲むような気がする。

いつも通りにいかない、意思を曲げない彼に対する焦り。それに対する彼の冷たい決別の台詞「もう溺れはしない」

 

この次のサビが最高に難しいのだけれど、初め歌詞カードを見たときは、一番との対になっていることから、「脳ある僕」=「爪跡を残すcat」なのだと思った。catと飼い慣らして~の間にスペースあるし。

でも聞きこむほどに、実は「脳ある僕」が「爪跡を残すcat(である彼女)」を飼い慣らしていたのか?と思うようになってきた。スペースを無視して、一文として読むとこっちの方がしっくりくる気がするんだけど……どうなの光くん…! どうなの八乙女担のみんな…!

 

何が?と何か?の違い

 これはサビの最後。「何が?」という一番は確実に何かが帰ってきている。

けれど二番の「何か?」になると、何か帰ってきたの? とその存在が一気に疑わしくなってくる。

一番で戻ってきたと思った何か(ここでは彼氏か、あるいは愛情そのもの)をよく見てみなよ、そこに本当に何かあるの?と現実を見せようとする男の捨て台詞のようだと思った。口の端に浮かぶ、酷薄な笑みまで見えそうだとすら思う。

 

 

なんていうものを生み出したの、光くん。

光を見出すことは、同時に影を知ることでもある。影はまた、光を際立たせるのに必要不可欠だ。

彼はその両方を絶妙なバランスで描き出す、天性のアーティストだと思う。

これからどんな世界を見せてくれるのか。光くんへの興味とリスペクトが加速するばかりだ。