担降りしていたのかもしれない話

仕事の昼休み中に、嵐のニューシングル発売決定の一報が飛び込んできた。

初回盤にはMVとメイキングに加え、何やら振付のビデオと先日のJAL特別塗装機のお披露目会見まで収録されているという。なんというサービス満点の一枚なのか。おまけ特盛パフェみたい。

 

でも、それを見た瞬間、なんでだろう。全然わくわくしなかった。

ふーん、そうなんだ、としか思わなかった。

むしろ嵐の新譜買うくらいなら、まだ買えてないJUMPのCD買うし、って思った。コンDVDだって全然そろってないしって。

そう思ったら、なんかもう、気づいてしまった。

これって世にいう、担降りってやつじゃないか?!?!

 

 

2008年夏。私は嵐の相葉雅紀に転げ落ち、20代半ばにしてジャニオタデビューを果たした。

それから7年。ずっと仕事以外の生活の中心は、嵐と相葉雅紀だった。

相葉さんの背中を追いかけ、相葉さんがくれる言葉を心の支えに、気持ち悪く重たい愛で彼と嵐だけを応援してきた。他のジャニーズグループには、興味の欠片も抱かなかった。本当に、気持ち悪いくらい一途だった。

 

そんな私の転機が、今年のわくわく学校だった。年下のグループと共演するといわれても、全然ピンとこなかった。思いっきり昭和生まれの自分には平成という響きだけでなんだかちょっと別次元の子達、という気がして、本当に何とも思っていなかったし、その子達にどうこうなるなんてこと、1000%ないと思っていた(今思うと愚かすぎる……)

 

それがまんまと伊野尾沼にほいほい転げ落ちて、一か月。

短いようなもどかしいような、楽しいような切ないような一か月。

その間一度も担降りって言葉を考えなかったわけじゃない。

でも相葉担をやめるなんて選択肢、自分の中に存在していなかった。

だって、そうしたら、私の7年はなんだったのだろう。抱えてきた大量の思い出と自担への思いと、そして日夜膨れゆく伊野尾ちゃんとJUMPへの好意を両手にそれぞれぶら下げて、私は途方に暮れるしかなかった。どちらかなんて選べないと思った。二つの異なる「好き」を握りしめたまま、重すぎてどこへも行けない、とさえ思った。

 

そんなふうに時折葛藤を繰り返しながらも、私は結局「担降りか掛け持ちか問題」を見て見ぬふりをすることに決めた。

 

見た目には、私はこれまで通りの生活を続けていた。

木曜になったらVS見るし、金曜にはレコメンをきくし、土曜になったらしやがれを見て、来週のデジコンのDVD発売だって心待ちにしていた。

でも、火曜日にはヒルナンデスを録るようになり、VSを録画しながらリトラを見るようになって、金曜の夜には相葉さんのレコメンの後のべいじゃんを楽しみにするようになった。土曜の20時にはらじらーでいのひかの声に癒されていた。

私の生活はいつの間にかそんなふうにじわじわと作り変えられていた。でも、相葉担をやめるなんて、そんな自分、想像すら出来ていなかった。出来ていなかったのに、その瞬間は、こともなげにやってきたらしい。

 

今の自分の気持ちを、ちゃんと言葉にするのは難しい。

これが担降りなのかどうかも分からない。いや、この期に及んでまだ、認めたくないだけかもしれない。

自分がいつか担降りをする時は、もっと辛くて、ぐちゃぐちゃになりながら、断腸の思いで担降りを宣言するのだと思っていた。

でも、今私はとても冷静で、それが逆に怖いのだ。あんなに私の中を駆け巡っていた相葉さんへの気持ちは、どこへいってしまったのだろう。

今までだったら、即行でタワレコに電話して初回盤を予約していたのに、これを書いている今現在、私は「愛を叫べ」の予約を諦めている。焦燥も高揚もない。そのことが不思議でたまらない。

 

正直、こんなにあっさりと、知らないうちに担降りってするものなのか?、と今ちょっと自分に盛大に引いている。どん引きだよ。マジで。

でも、今は自分のもてる時間と熱量と財力は、全部JUMPに注ぎたいと思ってるのは紛れもない事実だ。

これが本当の担降りなのか、本当にわからないから、タイトルに「かもしれない」と付けたわけで、来週発売のデジコンDVDあたりをみたら、やっぱり担降りしていなかった話を書いたりするのかもしれないな、とも思う。

 

とりあえず、今夜の自分の気持ちを忘れないように、こうして書き留めておきたかった。朝が来たら、私は元相葉担の伊野尾担だ。