矢印コンのスクランブルを、もう百回は見ているくせに、まだ飽きもせず眺めながら、分かったことがある。
わたし、ずっと光くんのダンスばっかり見てる。気づくと視線が追っている。
研ぎ澄まされた神経が、指先まで張り巡らされているような、しなやかで綺麗な踊り。体幹強そうだな。何を想いながら踊っているんだろう。そこからどんな景色が見えているんだろう。光くんを見つめながら、私の思考はそんなふうに次々と飛躍する。
本編の最後、New Hopeを聴きながら、思った。
ああ、光くんのピンと背筋の伸ばされた立ち姿って、なんて綺麗なんだろう。
そうか。
わたし、光くんのことが、自分で思っていたより遥かに好きなんだ。
ちょっと、あー、なんでこんなことになってんだ?と私が私に問い詰めたい事態である。
思うに、光くんのことをこんなに熱心に見るようになったきっかけは、あの「Come back…?」の歌詞によってもたらされたギャップだ。
バラエティもお芝居も、並み以上にそつなくこなすくせに、緊張しいだし、猫嫌いだし、マジメかと思えば真剣に他人を笑わせようとしているし、かといって、優しさだけでは生きていけないこともちゃんと知っている。誰よりも強そうで、でも、一瞬で壊れてしまいそうな危うさが見え隠れしていて、目が離せなくなる。
なんだろう。知れば知るほど、わからなくなる。だから、もっと知りたくなる。
こっちの箪笥の引き出し片付けてたら、あっちの引き出しからまた物がどんどん溢れてきて収拾つかないみたいな。
八乙女光、引き出し何個持ってんだよ?!みたいな。
戸惑いと驚きと、そんなの全部どうでもよくなるくらいの、あの苛烈な光を宿した瞳に、いつだって呼吸を奪われる。
伊野尾ちゃんとはまた違った好きを、私は光くんに抱いている。伊野尾ちゃんへの好きは、完全にアイドルとしての好き。それに対して光くんへの好きは、恐ろしいことに、たぶんさあ、これって……まさかの、……リア恋枠、なのか…(震)
ああ、どうしよう、この人絶対面倒くさいぞ?! なぜわざわざこんな!深そうな沼に私は足を踏み入れてるんだろう?! あああ、でもしょうがない! 好きになっちまったもんはしょうがない!!!(頭を抱えながら)
それで、やっと表題のひかにゃんの話。
わたし実は、これまでずっと、ひかにゃんの存在にピンときていなかった。
ツイッターのTLで、みんながひかにゃんに沸いているのを見て、いつも
「え? 今ひかにゃんいた??」
と思いながら、映像やら画像やらを確認。
あー、ほんとだ。ひかにゃんいたね? わたし、なんで気づかなかったかな?
ってのを、ずっとやってたわけだが、その理由がやっとわかった。
単純な話。わたしが光くんに、ひかにゃん的要素を全く求めていないのだ。
どれだけ光くんが天然で言い間違いがひどくて、どんなに可憐に見えたとしても、いつも、かっこいい男・八乙女光であってほしい(らしい)
あと、たぶん、思考がそこまで追い付かないっていうのもあるのかもしれない。
光くんが視界に映る
→あ、光くんだ
→(この時、光くんの外見的情報を把握するので、たぶん脳みその9割ぐらい使ってる)
→ああ、やっぱりかっこいい(昇天)
ここまでで、いつも思考回路がいっぱいいっぱいになって停止しているらしく、彼の言っている内容のおかしさまで、頭が理解しきれない(重症か)
だからたいてい、私が光くんの画像データを脳内保存している間に、みんなひかにゃんを捕獲している。
わたしもいつか、ひかにゃんを光の速さで捕獲したいものである。(たぶん無理)
(こんなこと書いておいてあれだが、私はこれからもずっと揺るぎなく伊野尾担)