JUMPのニューシングル発売が発表された。
事務所からのメールで第一報を知った時、言葉にならない電流みたいな喜びが、わーっと爪先から頭のてっぺんまで駆け抜けた。
嬉しい。楽しみ。嬉しい。楽しみ。嬉しい。嬉しい。嬉しすぎてどうにかなる。
いまこの瞬間、私の胸が弾け飛んでしまったら、カラフルポップなライスシャワーみたいな光と一緒に、そういう言葉があたりにばら撒かれて、大変なことになるとさえ思った。
胸が高鳴っていた。いや、胸が高鳴る、というのはこういうことだと、私ははじめてその言葉の本当の意味を思い知らされたのだ。
こんなに一枚のシングルCDが楽しみなことがあっただろうか。
発売日をこんなにも指折り数えて心待ちにする夜が、これまでのジャニオタ人生の中でどれだけあっただろうか。
振り返って、考える。
嵐担の環境は、恵まれ過ぎなくらい恵まれていた。
CMが決まればWSで取り上げられ、イベントだってコンサートだって、半ばルーティンのように毎年アナウンスされる。
消化しきれない録画番組。待っていなくても、ちゃんと発売されるCDやアルバム。
与えられることに、私は簡単に慣れていった。いつからそうなのかも、思い出せないくらい、それが幸せなのだと気付けないくらい、私は贅沢を貪り食らい、感性を鈍化させていた。
私は馬鹿だから、いつだってこんなに大切なことを、簡単に忘れてしまえる。
CDを出してもらえること。コンサートがあること。TVに、雑誌に、銀幕に、彼らの姿を見つけられること。彼らと一緒に仕事をしたいと、思ってくれる人たちがいる幸福。
どれも当たり前なんかじゃないってことを、私はいつだって忘れていく。
次第に氾濫していく情報と日常に、感性は埋もれ、腐っていく。そして、鼻先の腐臭にすら、気づかないまま、やがて偉そうに、あれは違う、これじゃない、と選り好みまでするようになる。評論家を気取って、自分で自分の一番大切なものを汚していく。
ああ、忘れたくない。覚えておきたい。
いつだって、それは特別だということ。
新しいお仕事が決まることも、新しい曲が発売されることも、コンサートの幕が上がり、そして最後まで何事もなく、その幕が下りることも。
どれも当たり前なんかじゃない。
いつだってそれは、不確かで曖昧で、刹那的であるということを。
今日あった君たちの笑顔が、明日もまた続く保証なんて、どこにもない。
今日聞けた君たちの声を、明日もまた私が聴ける保証なんて、どこにもない。
忘れたくない。覚えておきたい。
たしかに君を見つけた日の喜びを。
世界が息を吹き返した瞬間の拍動を。
好きなものをただ好きなんだと、叫んで抱きしめられる幸せを。
雑音に惑わされたくない。
君の声を見失いたくない。
君たちの見る夢が、私の夢になればいいと、最大級のエゴで願っているんだ。
ずっと凍り付いて死んでいた感性が、軋みながら動き出す。
いつだって、君を、君たちを想って、心を震わせていくんだよ。震わせていたいんだよ。
特番! ドラマ! 新曲! 映画! そして映画!
次はどんな新しい姿を見せてくれるのか、期待とワクワクしかない!
この心臓が千切れそうなくらい、私を毎日ドキドキさせてくれるJUMPちゃんたちが、本当に本当に大好きだーーーーー! おしまい!!