わたしが見たかったのは、肩ごしに見える未来

今も、私の中で少しも色褪せない景色がある。

私はその景色が見たくて、その景色を見ることが出来ると信じていて、そのために彼らのコンサートに行きたかった。

私は何度でも馬鹿みたいにその景色を反芻するし、何度でもそのDVDを再生する。

「ARASHI summer tour 2007 final Time~コトバノチカラ~」

 この夏、smartコンDVDにどっぷり浸かるまで、私が今までの人生で一番再生したDVDであり、私をジャニオタの道に進ませた運命の一枚であり、今も、私の中で一番の嵐コンはTimeだ。入ったわけでもないのにね。

 

このDVDの中の、嵐と嵐担の一体感は凄まじい。

お互いの繰り出す「ありがとう」の波動が、ぶつかりあって、響きあって、そこが世界で一番、幸福の密度が濃い場所だった。間違いなく、嵐と嵐担にとって、そこは世界のてっぺんだった。

興奮と笑顔と感動が渦巻いて、胸に迫って苦しくなるほどで、愛し愛された嵐の五人と嵐担の喜びで飽和した東京ドームは、いっそ小さすぎると感じるほどだった。

私は何度でも、このTimeコンの世界を反芻する。

あの興奮の坩堝の中に飛び込みたいとこいねがう。

でも叶わない。

きっともう、二度と、叶わない。

本編後の嵐コールにアンコールの声が混じるようになった頃、あの一体感は、もう二度と存在しないのかもしれない、その予感にいつも、私の胸は芯から冷えていって、そしてもう後戻りできないところまできてしまった。

私は結局、あの風景をどこかで諦めたのだろう。

夢に見た世界は、いつの間にか蜃気楼のように揺らめいて、消えた。

代わりに彼らはもう別の夢を描き出している。私はその夢を、前よりも少し遠くから眺めている。

 

世界は変わっていく。

嵐を押し流していく、巨大な力のうねり。

国民的アイドル、という肩書の重さと大きさ。

膨れ上がるファンクラブの会員数とともに、急速に薄まっていったあの狂おしいほどの熱。

コンサートの発表があるたびに、嬉しさより不安が先に沸き起こるようになったのはいつからだろうか。

去年、デジコンに落選した私を尻目に、私の職場の同僚はデジコンに入った。彼女は嵐ファンではなかった。彼女の友達がその年ニノ担になり、チケットがとれたからだった。彼女は楽しかったと言っていた。また行きたいと言ってくれて、ファンクラブにも入ったときいていた。それが今年、宮城の話になった時、彼女に行くの?と別の同僚が尋ねたら、彼女は行きませんと言った後、笑いながらこう続けた。

「わたし、そこまでのファンじゃないんで」

側頭部を殴られたみたいな衝撃があった。もうあと10歳若かったら、たぶん怒鳴り散らしてたかもしれない。でもどこか頭の奥で、すうっと血の気が引くような感覚もあった。

ああそうなんだって思った。嵐のファンクラブは、もうファンクラブですらないのかもしれないと思った。テーマパークのファストパスみたいなものなんだろうと思った。どこからがファンでどこからはファンじゃないなんて線引き、きっと誰にも出来ないけれど、私はファンクラブに入るからには、それなりに同程度の熱量でいてくれると、信じていたかった。

嵐が好きで、嵐のことが好きで好きでたまらない嵐担のことが好きで、そんな嵐担で埋め尽くされ作り出される一体感のあるコンサートが、私の恋い焦がれ続ける嵐コンだった。

ごめんな、わたし、そこまでのファンなんだ。会いたくて会いたくて、あの景色がまた見たくて、ファンと嵐とが求めて求められて、馬鹿みたいに一途な気持ちが爆発してどうしようもないみたいなあの世界に出会いたくて、気が狂いそうなくらい、嵐のことが好きで、相葉雅紀のことが好きで好きで、会いたくてでも会えなくて、そこまでのファンじゃないあなたが会えて、そこまでのジャニオタである私が会えないなら、こんな世界終わってしまえとさえ思った。私が会えないことと、彼女が会えたことと、何の因果もないのだから、それはただ運の問題でしかなくて、でも納得なんて出来なくて、人として難があるのは百も承知で、それでもずっと、苦しいと思うのを止められなかった。

好きを追いかけていたはずが、いつの間にか苦しかった。そうだ、ずっと、本当は苦しかったのかもしれなかった。もっと軽い気持ちでファンをやれていればよかったのに、そう出来なかったし、今も私のJUMPに対する気持ちは全然まったく軽くなんてならない。やっぱりそこまでじゃないファンになんてなりたくないしなれない。世の中の理不尽さと不運を何度も呪った。そんなの呪う暇があるなら、もっと死に物狂いで努力すればよかったのに、そうしなかったのは、ただ私の弱さと無意味な強がりとつまらないプライドのせいで、誰も悪くない。担降りして一番驚かされたのは、自分が思いのほか、この「そこまでのファンじゃない発言」を引きずって疲れ切っていたということだ。

協調性を勝手に求めて、勝手に裏切られた気持ちになって、勝手に傷ついて、我ながら馬鹿すぎると笑えるようになれたのは、本当に今が幸せだからなんだろう。 

 

 

日付が変わった今日「Blast in Miyagi」の幕が上がる。

相葉さん、そこから見える世界は、美しいですか?

どうか、嵐とその場に集う嵐ファンの見る風景が、美しいものでありますように。

あの、胸にあふれて苦しくなるほどの煌めきを、世界中に散りばめて、変わらないものはここにあると、笑っていてください。

あなたを追いかけることを止めた私を笑ってください。

あなたの笑顔とあなたがくれる言葉の力だけが、私がいつだって信じられた、唯一確かなものでした。

コンサートの成功を、今はただ願っています。

SUMMER TOUR 2007 FINAL Time-コトバノチカラ- [DVD]

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