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最果ての出発点から始まりの鐘を鳴らす君へ 〜グラスホッパー公開に寄せて〜

才能というものは、努力を続けるための資格なのだという。

天才ほど、常人の何十倍もの努力をしなければならない。

平穏な日常という幸せを、犠牲にしても。

ドラマ「掟上今日子の備忘録#4」より

 

先週のドラマの冒頭で、このモノローグが流れた時、反射的に「これは山田涼介のことだ」と思った自分がいました。

チャラチャラしてそうで、ナルシストそうで、でもそういうところがとてもアイドル然としていて、華やかで、やんちゃそうで、気が強そうで、JUMPのセンターで、JUMPのために彼がいるというよりかは、彼のためにJUMPというグループが存在している。

私が外から見ていた時に抱いていた、これら山田君のイメージは、おそらく、世間一般の人が抱いているであろう彼のイメージと、そう大差のないものでした。

けれど、JUMP担になり、彼のこれまで歩んできた道程を知った時、一番努力とは遠い場所にいると思っていた人が、実は一番努力に努力を重ねてきた人だったのだという事実に、私は打ちのめされ、自分の浅慮を恥ずかしく思いました。

 

11歳で事務所に入って、山田君がマイクを持つまでにかかった時間は二年。入所して一週間も経たずにマイクを持たせてもらえた光君や、同じ時期にすでに何本もドラマに出演し、Jr.内では越えられない壁のようだったと山田君が語る裕翔君に比べると、彼がライトを当ててもらえるまでにかかった二年という時間は、途方もなく長いように感じられました。

踊る場所も一番後ろで、全然前なんて見えなくて、でも、彼は努力を信じた。一生懸命だったこと、それは誰かにきっと届くということ。誰かが出来たことなら、時間はかかるかもしれないけれど、きっと自分も出来ると信じること。特別な才能なんかないと山田君は言うけれど、誰よりも努力を積み重ねてきたその足跡が示すのは、彼はやはりアイドルという才能を授けられているということで、冒頭の言葉を借りれば、だからこそ、彼は人一倍の努力を余儀なくされているとも言えると思います。

どのグループも、そのグループの看板を背負うエースであれば、必然的に風当たりは強くなっていく。人が10出来て正当に10評価されるところが、エースであるというただそれだけで、10出来ても1の評価しか得られない。エースなのだから、すべてがパーフェクトに出来て当たり前なのだと、人は簡単に思ってしまうから。100出来てやっと人並みの評価がつく。JUMPとしてデビューした時、彼はまだたったの14歳で、センターを任された時も、まだたった15歳で、世間が彼に求め続けたのは、そんな年齢のことなど意に介さないような途方もない結果や人間性だったように思えます。その時、世界は彼にどう見えていたのか、少しでも優しくあってくれただろうか。私は、私が知らない間に過ぎ去ったこれまでのJUMP、これまでの山田君の歴史を思うといつも、何もない荒野にぽんっと放り出された彼らの姿が思い浮かんでしまう。たくさんの心無い雑音が吹き荒ぶ荒野で、それでも前に進むことを止めなかった彼に必要だったのは、他の追随を許さないただひたすらに強烈な努力だった。私はそれを思うと、彼のことを誤解していた自分を殴りたくなる。

山田君は、知れば知るほど、私が抱いていたイメージとは全く正反対の人でした。

ボーっとしていることの方が好きで、人見知りで、出掛けるより家が好きで、歯が浮くようなキザな台詞を言うのも、本当は肌が震えるくらい恥ずかしいと思ってる、ごく普通の、どこにでもいるような22歳の男の子。JUMPというグループの為なら、どんなに大変なことも辛いことも、乗り越えようとする強い人。誰よりも、みんなで一緒に進むことを大事に思っている、とても心の温かい人。一人で喜ぶより、みんなで喜びたいという彼の言葉を前に、私の中の勝手な山田涼介像は、さらさらと風に舞う砂塵のように消え失せました。

恐ろしいほど強くて、でも年相応な脆さも、人としての弱さもある、眩すぎる輝きの奥に、とても柔らかな気持ちを大事に秘めている、そういう山田君が、私は大好きです。

私はsmartコンのCome back…?がとても好きですが、それは楽曲の良さもさることながら、そのパフォーマンスに魅せられている部分が大いにあります。イントロのピアノパートのところで、山田君を先頭にピラミッドを創るJUMPが、音に合わせて両手を空に伸ばす振り。あのシーンを見る度に、ああ、これがJUMPだって思います。全員で何かとてつもない大きなものを抱え上げているように見える、あの景色。山田君は私がJUMP担になってから、同じ歩幅で、同じ夢に向かって、いま、全員で上を目指せている、そうずっと言っていて、それはメンバーが横一列に並んでいる、ということと同義と捉えることも、たしかに出来ます。今回の新曲に限っていえば、山田君がセンターとは言えないフォーメーションで、歌番組でもあまり喋らなくて、そういうこれまでとは違う波を、メンバーみんながやっと横に並んだ、そう評価する気持ちも分かります。でも、進む速さとJUMPという形の在り方は、全く別次元の話だと、私は考えます。同じ歩幅で歩くことと、横一列に並ぶことは、同じようでまったく違う。

ばらばらにならないために、同じ歩幅で進むことはもちろん必要で、でもJUMPの形として私が一番しっくりくるのは、横並びではなくて、あのCome back…?のイントロのような、山田君を先頭にしたピラミッドなのです。全員一丸となっているあの形が、私の中では何よりもJUMPらしいJUMPの形に見える。ぺらぺらの紙を、横にひたすら真っ直ぐ立てて並べても、その上に重いものは乗せられないけれど、縦に厚く重ねれば、遥かに重いものもちゃんと支えることが出来る。たとえがあれだけど、そういうイメージです。

そして、私はこうも思います。JUMPのセンターは、やっぱり山田君であって欲しいと。私はきっと、ずっと、わがままにも、そう願ってしまう。他のメンバーが努力してないなんて言うつもりはさらさらありません。誰しもが、自分の与えられた場所で、踏ん張って、何かを磨いて、もっともっと光ろうと努力している。でも、それでも。

貴方が人並み外れた努力の結果、勝ち得たその場所は、守ってきたその場所は、そんなに簡単に誰かに譲っていい場所じゃないはずだ。譲られていい場所じゃないはずだ。横並びなんかじゃなくていい。みんなが横に並んだと思ったその時には、次の一歩を踏み出していて欲しい。貴方には、誰よりも早く、この世で一番綺麗な景色を見つけて欲しい。私は伊野尾担だけれど、貴方がセンターじゃないことを、とても悔しく思う自分がいることに、これを書きながら気づかされました。

才能があるからといって、その道に進む必要はないけれど、その道でしか生きられない人もいる。生まれ変わってもアイドルになりたいと、これ以外何もない、この道以外知らないからと、一切の迷いなく答えた貴方に、私はずっとエースでセンターの場所に立っていて欲しいのです。お前が絶対エースだ!りょうすけぇえええ!!!!!と何度だって叫ばせて欲しいのです。

 

2015年11月7日。貴方が初めて挑んだ映画「グラスホッパー」がついに封切られ、今は貴方を知らない人も、これをきっかけに、俳優山田涼介を知るでしょう。そして、もっと貴方を知りたいと思った人は、貴方が俳優である前にアイドルであることを知るでしょう。

私はこの映画が、貴方の存在をさらに世に知らしめる、始まりの合図になると信じています。荒野の真ん中で、貴方が鳴らすその始まりの鐘の音は、きっととても強くて美しい。誰しもが、その音に驚き、その音色に聞き惚れ、貴方を見つけざるを得なくなればいい。貴方の存在を無視できないほどに、ただどこまでも鳴り響けばいい。JUMPのさらなる進撃の最初の一歩が、貴方だったら、私は嬉しい。

 

明日、劇場でこの身勝手な願いが、本当になることを夢見て。