夜は全てを優しく包み込む ~グラスホッパー感想~

※ 映画「グラスホッパー」のネタバレを含みます!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜が鳴いている 朝を待っている

窓辺の花 揺れてる 星の光

優しさを持って 哀しさを持って 生きる

だから私は強いの

「tonight」

 

エンドロールで流れるYUKIちゃんの歌声を聴きながら思った。

夜はいつだって優しい。

どんな悲しみも、痛みも、孤独も、そっと覆い隠してくれる。

でも、夜が優しいと思えるのは、夜が明けることを知っているからだ。

鈴木、鯨、蝉。

これらメインの三人はいずれも、明けない夜の中でずっともがいていたのだと気づかされた。

鈴木はあのハロウィンの夜の悲しみと絶望から抜け出せていない。蝉は生きている実感が沸かない夜を放浪し続けている。鯨は父を殺めた罪の意識を、ずっと見て見ぬふりをしている。

 

鯨のこと

浅野さんは原作のイメージ通り!という感じ。だけど、原作よりかなり人間味がある鯨だなと思った。最後の終わり方も含め、原作より好きだった。でも原作の方が無敵感があるし、途方もない虚無を中に抱えているキャラなので、原作の鯨ファンの人は、映画の鯨は物足りないんじゃないかなと思った。

 

蝉のこと

見目麗しいという描写は原作にはなかったように思うけれど、逆に混沌とした夜には不似合な美しさが、彼の異常な強さや歪み、内に抱えたどうしようもない狂気をよりリアルに具現化させていると感じた。あの目力は圧巻。瞬きをしないようにしていた、というのを雑誌で言っていたのが印象的で、なんだかこっちまで瞬きせずに見てしまって目が痛かった笑 歩き方も、頭を揺らさないように機械的で人間じゃないような動きが、彼の非人間味を際立たせていた。

冒頭のワンカットの立ち回りの、迷いのない殺し方を見た時、監督が山田君に言ったという「歯磨きするように人を殺して」という言葉を思い出した。血飛沫に眉一つ動かさないのがすごい。耳鳴りの音は聴いているこっちも不快になる音で、蝉の抱えている生き辛さがダイレクトに伝わってきた。耳を削ぎ落すシーンが痛い。でもとても瀧本監督っぽい演出だなと思った(蘇る脳男の暴力描写の数々)

惜しむらくは、最後の鯨との殴り合いのシーンの、回し蹴りが!軽かったこと!綺麗だったけどもっと打撃の重みが欲しかった~!図書館戦争の堂上教官の圧倒的な重みとスピードの蹴りが恋しいぜ!でも鯨と蝉の体格差を考えたらあんなもんなのかもしれない。原作のラストより、映画のラストの方が断然好きだった。蝉、報われた~!と思ってスカッとした笑

 

鈴木のこと

原作では亡き妻の口癖「やるしかないじゃない」という言葉に何度も背中を押されて行動していく鈴木だが、映画では彼の意志で進むというよりかは、本当にただただ巻き込まれて流されて生き残った、という印象が強い。

しかし脳男の無敵さから一変、普通の男をここまでリアルに演じる生田斗真すごい。改めて84年組の星だなーと思う。

 

 

原作との相違点は上げればきりがないけれど、原作の美味しいエッセンスを上手に取り出した、シンプルでエンタメ性の強いストーリーに仕上がっていたように思う。原作はもっといろんな伏線が絡み合っていて読みごたえがあるけれど、映画は映画でとても満足のいく中身とテンポだった。

 

 

無意識の悪意は知らぬ間に伝染し、狂気へと変異する

この映画で、私が一番ゾっとしたシーンは、実は冒頭の交通事故のシーンで、横たわる怪我人を前にそれを写メしてラインに流している男性のカットだ。

トノサマバッタは、密集して育つと羽根が長くなり、色も黒くなり、性格も凶暴になる。生き残るために変異する。人もまた然り、というのがこの映画の一番の肝だと思うし、現に鯨や蝉はその代表だ。

私たちは、鯨や蝉のように超人的な能力は持ち合わせていないけれど、溢れかえる情報の波に飲みこまれて、時に判断の軸を見失う。リアルと非リアルの境目は、日毎に曖昧になり、SNSの繋がりが現実の繋がりを時に凌駕する。冒頭のラインの男性は、きっと普通の人間で、そこに誰かを傷つけようという悪意などなかったように思う。人としての善意も感じられなかったけれど。彼の流した情報はネットの海で増幅され拡散されていくだろう。それはまるで肥大していくバッタの群れのように。悪意のない投稿はやがて、どこかの一点で狂気へと変異し、人の価値観や倫理観というものを飲み込み、麻痺させ、大きなうねりとなって、見知らぬ誰かを傷つけたり悲しませたりするのかもしれない。そう考えると、日ごろ何気なく使っているツイッターやこのブログだって、容易に変異の出発点になり得る。それだけでなかなかのホラーだと思った。

特に私が思うのがツイッターだ。ジャニヲタをやっていると、何かと情報を得るのが早い為、ついついお世話になってしまうけれど、何気なく発した言葉が、誰かを傷つけることはきっとザラにあって。

特にJUMP担の界隈は、最近たくさんの流入があってまさに人口爆発が起きている状況なんだと思う。

もうぶっちゃけ言ってしまうと、私だって変異種なんだと思うのだ。嵐という過密地域から逃げてきた変異種。私は、これまで育ってきたJUMPの土壌を、流入してきた自分のような変異種が食い荒らしてしまわないかと、最近不安で仕方がない。私の呟きは、誰かを傷つけていないか。比べなくていいものを比べたり、自分のこれまでの価値観を押しつけたりしていないだろうかと考える。考えれば考えるほど怖くなる。何かにつけて、数字の大きさを正義や正解と勘違いしてはいけない。特に私の場合は歳の差が問題で、ついつい子ども扱いしてしまいそうになるけれど、彼らはもう立派な大人で、プロのアイドルなわけだから、そこはちゃんと敬意を忘れずにいなくちゃいけないと思う。自戒。この映画はそういうのを考えさせてくれた点で、とても心に刺さった。

 

ただ、同時に救いもあって。それは最後に生き残ったのが鈴木だけだということだ。彼は復讐だけを考えて生きてきたと言うけれど、その実、劇中ではまったく殺意を感じさせない。虫も殺せない、本当はすぐにでも死んでしまいそうなただの優男が、なんだかんだ生き残る現実。彼を支えたのは亡き妻への愛と人としての良心だ。言葉にしてしまうと、陳腐に聞こえてしまうかもしれないけれど、どんな狂気も、悪意も、やっぱり愛には敵わないのだと思った。何かを、誰かを想う気持ちは、きっとどんな混沌の夜にあっても、消えたりしない。

 

鈴木。鯨。蝉。それぞれの哀しみはどれも深くて冷たい。

でも夜は、その全てを優しく包み込み、朝と共に終わりを告げてくれる。

 

昨日よりも上手く笑えるようになるよ

夜に浮かぶ tonight

浮かぶ     tonight

雨は上がった

今夜は2人で出かけよう