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拝啓、相葉雅紀様 ~紅白歌合戦司会決定に寄せて~

私が相葉さんを知ったのは、2008年の夏でした。

あの年は、あれから八年が経った今考えてみても、一番相葉さんがゆっくり過ごせた年だったんじゃないかなと思います。ぶっちゃけ、レギュラー以外の仕事が無かったよね。他のメンバーは、やれオリンピックのキャスターだ、初の連ドラだ、映画だって、それぞれ個人仕事があった中で、相葉さんだけが新しいお仕事がもらえていませんでした。もちろん、その年の四月にはTBSで今は無き「ひみつのアラシちゃん」が始まったし、夏には24時間テレビも、初めての国立ライブも、初の五大ドームツアーも、二度目のアジアツアーもあった年だけど、それは「嵐」としての活動で、個人では本当にレギュラー以外これといって何もなかったと記憶しています。あの年はずっと、ほっぺたがふっくらぷくぷくで、幸か不幸か、もうあんなふうにはならないんだろうなあ。

その年に買った「アラシゴト」という本。五周年の節目に出されたメンバーの一万字インタビューが載っているこの本を、私は当時、貪るように何度も何度も読みました。そこに書かれていた相葉さんの人となりに衝撃を受けて、私の世界は180度変わってしまった。この本がなかったら、私、相葉さんのこと好きにならなかったと思うし、ジャニーズという世界を知らないで、ずっと、生まれてきたことを後悔したままだったんだろうなと思います。

むしろ、ジャニーズなんて、と敬遠していたあの頃。相葉さんは鮮烈な光と笑顔を携えて、私の世界に現れました。あの頃の私の世界は、そりゃもう終わっていました。社会人二年目。信頼していた上司が辞めて、ちょっとこの人生理的に無理だ、という上司の下に配属されて、家族も友達もいない土地に一人。誰かに助けてと言いたくて、でも誰に言えばいいのかわからなくて、助けてくれる人なんて誰もいないと勝手に思い込んでいて、そういう自分が世界一嫌いで、そんな「世界一嫌いな自分」なんていう存在を、誰も愛してくれるはずがなくて、でも誰かに愛されたくて、それまでも、割と死にたがりな人間だったけれど、あの年の人生のどん詰まり感は最高潮だったように思います。生きることに何の楽しみも見いだせなかった。ゴールがないトンネルを、ずっと掘り続けているような毎日。自分自身が末端から削り取られて、粉々になって磨り減っていくような感覚。それでも、どうしようもない。生きたくもないが、死ねるわけもない。もうこのまま、二度と目が覚めなければいいのにと思って眠った夜が、どれだけあったか。あの亡くなった電通社員の人のこと、他人事じゃなかった。あれは一歩間違えたら私だった。私も、もうどうしようもなくなったら死ねばいいと思ってた。そこまではとりあえず大丈夫だから頑張れる頑張ろうって思ってた。死ぬっていうことが、いつか絶対に訪れるたしかな終わりが、あの頃の私に残ってた、唯一の希望だった。生きることの希望が「死」だなんてすごい矛盾だ。ぜんぜん大丈夫なんかじゃなかったんだよな、今にして思えば。

そういう世界に、相葉さんと嵐は現れたんだよ。厚い雲を吹き飛ばすみたいに、私の世界に光を入れてくれた。ほら、世界はこんなに広いでしょう? 眩しいでしょう? 絶対楽しいから、もっとすごい景色が世界にはたくさんあるから、もう一人じゃないから、一緒に見に行こうよって、手を引っ張ってくれたんだよ。

「アラシゴト」を読んで衝撃を受けたっていったけど、それは私が思ってた相葉さんと実際の相葉さんに、ものすごい落差があったから。だって相葉さんって、超アイドルだったでしょう? にこにこしながら手を振って、楽しそうに歌って踊って、きゃーきゃー言われて、それでお金をもらえるなんて、アイドルって本当にチャラチャラした仕事だなって、相葉さん=そういうチャラチャラした人ってずっと思ってました。ねえ、そう、私ジャニーズって嫌いだったんだよ。それが今や、こうなるわけ。アイドル本当に尊い…って涙を流して拝むような人間になるわけ(笑)こうなるきっかけを、道筋を、相葉さんが作ったの。今の私のほとんどを、相葉さんと嵐が、作ったんだよ。

ずっとチャラチャラした人って思ってたから(そしてそれはアイドルの見せ方として、とても正しいことなんだけど)アラシゴトの中で、仕事に対する真面目な気持ちを語る相葉さんが、本当に衝撃的だったんです。

 

天才!志村どうぶつ園」も最初の頃はすごく迷ってたんだよ。毎回ほとんどしゃべれなくて。

~中略~

嵐の中でしゃべるのは自分の役割もハッキリしてるし、安心だった。でもそうなるには、それなりに時間がかかったわけだから。まったく初めての場所に、たった一人ほうりこまれて、自分の居場所を一から作ってかなきゃならないことの大変さ、そのむずかしさをこの番組で思い知った。

 

現在の、いつでもどこでも元気で明るくて笑顔の相葉ちゃんっていうパブリックイメージとは、全然似ても似つかない相葉さんが、そこにいました。もがいて、もがいて、強くなろうとしていた、当時まだ22、3歳の相葉さん。あの頃の私よりも若い頃の相葉さんが、私が勝手にチャラチャラしてる輩と断罪していた人が、実はめちゃくちゃ真面目で一生懸命生きている人だったという衝撃の炎が、一瞬でその時の私を焼き尽くしました。

 

でもさ、それをやれなきゃ意味がないんだよね。そういう状況でも“きっちりやれる”っていうのが、この仕事をしていくうえでの最低ライン。そこで苦労してる場合じゃないんだよ、本当は。

 

「結果がすべてじゃない。頑張ることに意義がある」って思ってたの。でもがんばるのってあたりまえのことじゃない? どんな仕事をしていても、男でも女でも。「がんばってない」状態のほうがおかしいんだってことに気づいた。

それと、いくら自分ががんばってるつもりでも、結果がついてこなければ、それは単なる「つもり」でしかないってことも。それはすごいカッコ悪いことだよね。そんな人、だれも信用しないと思った。きちんと結果を出している人に比べたら、まだまだ「がんばってる」とはいえないってことなんだから。

 

驚くくらい、呆れるくらい、心配になるくらい、ストイックな人だった。

天真爛漫で、何にも考えてないようにみせているその裏で、これでもかというくらいめいっぱい色んなことを考え、その時出来る最善を全力でやりきる人だった。きっと、ジャニーズの第一線に立ち続けてる人たちって、デビューしてるしてないに関わらず、みんなそうなんだと思う。馬鹿みたいに他人に優しく、自分に厳しい。嫉妬って、この世で一番いらない感情だと思う。そんなことをさらっと言えてしまえる人。あらゆる極彩色を飲み込んでなお、まだ目に痛いほど白い。そんな人。だから好きになった。目標だった。人として憧れて尊敬して、大好きで、ねえ、貴方にみたいになりたいって、そう心から思える人に出会えた、それだけで、私の人生は最高だ。

私、頑張ってないじゃんって思ったんだよ。はじめて、上の文章に出会った時、あ、私全然頑張ってない、超ダサいって。自分の人生早々に諦めて、環境とか、家族とか、そういうもののせいにして、自分が世界一不幸って顔して、超ダサいわって。こんなかっこ悪い自分で、嵐に会いに行くなんて出来ないって思って、それからかなあ、ちゃんと自分の人生を最高に生き切ろうと思うようになった。誰かの為じゃない、自分のために、自分の人生を、しっかり生きる。そういう当たり前のことを生まれて初めて自覚した2008年の終わり、相葉さん三度目の舞台「グリーンフィンガーズ」主演の第一報を受けて、私はそれまで「アイドルのファンクラブに入るのは、ミーハーだと思われそうで、ちょっとハードル高いなー」と思っていた自意識を軽く飛び越えて、人生で初めてファンクラブなるものに入会しました。振込には間に合ったけど、結局全落だったんだよなー、この時。

 

2009年、十周年の年。春の舞台以降、相変わらず個人仕事の話は何もなくて、まあ、相葉さんは演技班じゃないしなー、でも相葉さんだけ主演ドラマがないのもなんかちょっと寂しい…と思っていた矢先、秋ドラマ「マイガール」主演決定。十周年ってすごいんだなって、この時はしみじみ思いました。ここから、相葉さんも嵐も、軒並み忙しさが加速していって、相葉さんはこの秋以降、ほっぺがぷくぷくを取り戻すことはついになく、マイガールの後すぐ、五人ドラマ「最後の約束」にインし、初めて紅白出場。生放送が苦手な相葉さん、大丈夫かなあってテレビの前でドキドキしたっけ。2010年春にまた舞台「君と見る千の夢」をやってね。あの時のグローブ座で見た相葉さんが、私が今までで一番近くで見た相葉さんだよ。「宿題くん」が終わって「嵐にしやがれ」が始まって、嵐レギュラー三本に「しむらどうぶつ園」の計4本のバラエティと一本のラジオを抱えるようになったよね。夏からツアーで、2011年にはついに二度目の主演ドラマ「バーテンダー」が決まって、こうして文章にしたらよくわかんないけど、当時は十周年からずっと走り続けてるような気分だった。

そして震災だ。その後、夏から始まる予定だったツアーの前半日程の東京ドーム公演が「ワクワク学校」というイベントに変わり、そこまでで相葉さんは本当に、自分を出して出して出し尽くしてしまった。ワクワク学校のあと、二回目の肺気胸で入院。

夜中にツイッターがざわざわしてさ、ソースがなかったからそのまま眠って、翌朝やっぱり入院したんだって知って、でも不思議とその時は動揺しなかったよ。職場でその当時いたスマオタの人に「相葉君だいじょうぶ?」ってきかれて「大丈夫ですよ」って言ったのは、今でもよく覚えてる。だって、どうしようもないじゃないか。大丈夫って信じる以外に何が出来た? 一度目の入院の時、周りに迷惑かけた辛さを、嵐をクビになるのかなって毎日不安だったっていう人が、また入院してしまって、今一番自分を許せないのは相葉さん自身だろうに、私に何が出来た? 信じる以外に何が。大丈夫って信じる以外に何が、何もできなかった。ただいつものように日常を回すことしか出来なかった。ファンってこういう時何も出来ないんだ、信じる以外何もないんだって思い知ったし、本当にずっと走り続けてたから、これはちょっと休みなさいって神様がいってくれてんじゃないかなって真剣に思った。

 

退院後、すぐに出演したミュージックステーション。アルバムのリード曲「まだ見ぬ世界へ」を引っ提げて、シンプルな黒の衣装で登場したあの日の相葉さんは、それまで見たどの瞬間の相葉さんより特別かっこよかった。退院おめでとうってみんなから言ってもらって、なんだか退院特別番組みたいだった。

2012年も映画「日本列島 いきものたちの物語」のナビゲーターをやらせてもらってたから、そのプロモーションからスタートしたし、その後すぐ「三毛猫ホームズの推理」「ワクワク学校」「24時間テレビ」と、息つく暇がなかった。この頃になると、相葉さんにドラマの仕事がきても、素直に喜べなくなってた。もともと相葉さんが演技に向いてると思ってなかったし、やっぱりドラマって体力とか体重を持っていかれるから、目に見えてげっそりしてくのがほんとになあ、しんどかった。本人はいたって元気そうだったけど、見てるこっちはまだ先の入院が忘れられなくて、心配で、でも仕事は相変わらず多くて、今だったら売れてる!ありがたい!って喜べるんだろうけど、当時はなんで相葉さんばっかり…って思ってたかな、この頃。贅沢な悩み…!!別に相葉さんばっかりってわけじゃなかったにしてもドラマ仕事が定期的で途切れなかったんだよなあ。2013年も「ラストホープ」から始まったし、「相葉マナブ」もこの年の春からだ。またレギュラー増えるの?!と思って嬉しいやら心配やら、それでも相葉さんは元気に全部の仕事をこなしてた。この頃は一時期感じてた「いっぱいいっぱいな空気」はもうなくて、相葉さんのペースで仕事をやれてた時期だったように思う。

2014年、嵐デビュー15周年。ついに個人でも映画主演の話がきて、嬉しかったなあ。嵐になって個人で映画やってないの、相葉さんだけだったから、嬉しかった。

 

相葉さんは、ドラマの主演も映画の主演も、嵐になってからは一番最後だった。

ニノや潤君は早くからドラマ班で世間から注目される機会もあったし、翔ちゃんもZEROの出演が決まり、ジャニーズで初めて報道の世界へ進む道を作った。大野さんも、2008年のドラマ「魔王」で急速に注目されるようになっていたし、彼が歌も踊りもずば抜けたセンスを持っていることは、一度映像を見れば分かる。私が出会った2008年当時、なんとなくバラエティの人でしかなかった相葉さんは、その時の私の眼には「嵐の中でも一番これといって何もない人」だった。街頭インタビューとかでも決まって大野さんと並んで最後まで、非ジャニオタの人からは名前が出てこないような、そういう人だった。

天然とかおバカとかいうパブリックイメージは強いのに、実はめちゃくちゃ人見知りで体も弱くて、デビューしてからも月一並みの頻度で扁桃腺腫らせて高熱だしながら、それでも黙って仕事場では「明るく元気なあいばちゃん」でいるような人だった。デビューから10年が経とうとしていた2008年当時でさえ、生放送の歌番組ではやっぱり緊張を隠せないようなぎこちなさを見せることがあったんです。

 

そんな相葉さんがさあ、あの天下のNHKの、紅白歌合戦の司会をやるんだって。嵐五人でじゃなくて、一人でやるんだって。

ねえ、どうなってんの、2016年。

 

相葉さんが、公式HPに寄せたメッセージ。

何度読んでも泣いてしまう。ここに書いたような、これまで私が見てきた相葉さんの8年間が蘇ってきて、胸がいっぱいになって泣いてしまう。だってあの人、おしゃれイズムに一人ゲストで呼ばれて、ゲストなのに緊張のせいでライブ中かな?ってくらい汗びっしょりかきまくってたような人なんだよ? そんな人が国民的な歌番組の司会を!一人で!!やるんだよ?! とんでもないぞ2016年!!

相葉さんの口から「悩みました」っていう言葉が出るなんて、それは相当悩んで悩んで考えたってことだと思うし、それこそ、清水の舞台から飛び降りるくらいの覚悟で受けた仕事だと思うと、本当に心から震えて涙が出る。驚きと少しの心配と、でも、圧倒的な嬉しさで、叫びだしたくなる。実はなんでもソツなくこなしてしまう器用さと度胸がある大野さんじゃなく、生放送の司会をグループで一番数こなしてる確かな実績を持ってる翔ちゃんでもなく、トークが抜群に上手で年配うけもいいニノでもなく、ぶっちぎりで存在に華がある潤君でもなく、お歌がめちゃくちゃ上手いわけでもない、踊りがめちゃくちゃうまいわけでもない、おしゃべりがめちゃくちゃ上手なわけでもない、でも、誰からも愛されて、誰にでも「あいばちゃん」って呼んでもらえるような、国民の友達みたいになった相葉さんにオファーがきたことが、私は本当に本当に本当にうれしい。

すごいことだ。誇らしいことだ。こんな未来がくるなんて、全然思ったこともなかった。

相葉さんにって言ってもらえるだけの実績と実力と信頼を、着実に積んできた、相葉さんが歩いてきた道は全部間違いじゃなかった。無駄じゃなかった。相葉さんの今までの全部の頑張りが集約されて今、満開の花を咲かせる。それは人を笑顔にさせる、あったかくて優しい色をした、力強く咲き誇る花だと思う。

 

 

相葉さん、今日まで毎日アイドルでいてくれてありがとう。もう相葉さんは、私の担当じゃないけれど、私をここまで歩かせた、その一歩目が相葉さんの力なのは、これからも一生ずっと変わりません。大好きだよ。がんばって。わたしもがんばるね。