さよならはいつも遅すぎる

志村けんさんが亡くなった。信じられないくらい悲しい。


わたしが訃報を聞いたのは職場だった。Yahooニュースを見た誰かがそのことを口走った。
わたしはパソコンのディスプレイの影に身を潜めて、そっと涙を拭った。
信じられない。信じられない。
志村さんが死ぬなんて思ってなかった。自分はコロナになんかかからない、そう思うのと同じような、根拠のない確信でもって、そう思っていた。

悲しい。すごく悲しい。
この悲しみは、二つあって、一つは相葉担として相葉さんの心痛を思うと辛いということ。
もう一つは純粋に、わたしは志村さんのことが好きだったなあという個人的な思い入れだ。


志村さんの父親は大層厳しく、決して笑わない人だったそうだ。
そんな父親が、テレビから流れてきたお笑い番組を見て笑ったのを見た志村さんは、笑わない親父を笑わせるなんてお笑いってすごい!と感銘を受け、お笑いの道を志されたというのは有名な話だと思うが、わたしはこのエピソードがすごく好きだった。
志村さんは、お笑いの力を心から信じている人だった。


わたしは中学に上がるまで、就寝時間が二十時と決められていた。
流行りのドラマや音楽番組には触れられなかった小学生時代、半年に一度あるドリフターズの特番をすごく楽しみにしていた。
だいじょぶだぁ!も、バカ殿様も、あの頃、志村さんのお笑いに触れて笑顔をもらった、あの日のわたしが悲しいと泣く。


ずっと志村動物園で一緒だった相葉さん。
初めてお酒を一緒に飲んだ時、緊張しすぎて飲み過ぎて、気づいたら志村さんの膝枕で眠っていた相葉さん。
あの頃、番組に出ても何も発言できず、キャラらしいキャラもなく、悩んでいた相葉さんが、今の「志村動物園のロケで体を張る相葉ちゃん」という立ち位置が持てたのは、志村さんのお陰だと思います。
今日のバラエティで輝く相葉さんは、志村さんとの出会いなしにはなかっただろうと思っています。

嵐にしやがれにもゲストで出てくださって、相葉さんがどえらく緊張しながらも、すごく楽しそうだったのが忘れられないです。

志村さんのことが大好きだった相葉さんのことを思うと、本当に悲しい。本当に寂しい。

あの日、テレビに齧り付いてあなたのコントを見ていた、小さなわたしにたくさんの笑いをありがとうございました。



ご冥福を心からお祈りします。