生きて、死ぬこと

祖母が死んだ。

ちょうど一週間前のことだ。

朝の六時三十分。母からのメールで訃報はやってきた。89年の生涯だった。

 

その前日。

妹から、祖母の余命が長くないことは知らされていた。胆のうガンが見つかったという。あと2、3か月の命。何があるかわからないから、近いうちにお見舞いにいこうね。そんなやりとりをしたばかりだった。まことに急な話である。

 

祖母は、福岡の南の方の、超がつくような田舎に暮らしていた。山間の急勾配を切り拓いて作られた棚田と茶畑。その合間に数件の家々がぽつぽつと軒を連ねており、山を下らなければ商店も病院もない。月に何度か、車で行商人が日用品や加工食品を売りに来るような、いわゆる、限界集落である。

住民のほぼほぼ全員が農家であり、祖母もその例に漏れず、農業で生計を立てていた。

そんな祖母が畑で倒れたのは4年前。9月22日。暑い残暑の頃だ。

わたしはこの日を正確に覚えている。なぜならその日、私はABC-Zのファンミに出かけていて、めちゃくちゃ浮かれていたからだ。その次の日の朝、祖母が倒れたと知らされたわたしのショックは筆舌に尽くしがたい。

わたしは、祖母が死にかけていた日、ずっと死ぬほどうかれていたのだ。

何の因果だ、と思った。何も悪いことをしていないのに、何か罰が当たったような気持ちだった。わたしはこの日のわたしのことを、怒ればいいのか、許せばいいのかわからないでいる。そのどちらの必要もないのだとしても。

 

祖母はたまたま通りかかった近所の人に発見され、一命を取り留めた。脳梗塞だった。それまでにも軽い脳梗塞を一度経験していた祖母の体には、左半身の麻痺が残った。祖母を引き取って介護するといったのは、その年、介護の資格を取得した母だった。祖母は、大事に暮らしてきた、祖父との思い出が詰まっている自宅に、倒れてから一度も帰ることなく、わたしの実家へとやってきた。

それから四年である。長かった。ただ、長かっただろうと思う。亡くなったと知った時、正直少しほっとした。やっと祖母はこの生から解放されたのだと思った。

わたしは、それまで一人きりで、畑を守り家を守ってきた祖母が、急にほぼ寝たきりの状態になり、介護される生活になってしまって、すぐに呆けてしまうのではないか、と思って怖かった。弱っていく祖母を見るのは怖かった。見たくなかった。

けれど、わたしの不安に反して、祖母は最後まで呆けたりしなかった。幸か不幸か、最後まで聡明であった。

たまにいくデイケア先の職員さんたちからは、いつも笑顔でにこにこしてらっしゃいますよ、といわれていたらしい。想像する。それまで住み慣れた集落を離れ、遠い地の、知らない町の施設で、にこにこと愛想よくふるまう祖母の姿。わたしは自分自身の首がゆっくりと締まっていくようなしんどさを覚える。

デイケアで、絵を描いたりなんだり、手を使わせるような遊びをさせてもらっていたようだが、それを祖母は「あんなのは子供だましたい」と一笑に伏していたらしい。祖母は、以前よりちょっとしたことでよく泣くようになっていたものの、気高さを失ってはいなかった。それもまた、わたしの呼吸をしんどくさせた。

 

祖母の人生は、順風満帆ではなかったと思う。

その当時としては珍しく、上の学校へ進めと言われるほど頭がよかったらしいが、若くして農家であった祖父と大恋愛の末、結婚する道を選んだそうだ。母含む、二男一女に恵まれたものの、長男は十七歳の時に事故で亡くしている。祖父とは43年前に死に別れた。

たまに想像した。もしも祖父や、伯父が生きていたなら、もっと違っていたのだろうか、と。祖母の晩年は、母の人生は、存命の伯父の人生も、きっともっと違っていただろうと、詮無いことをたまに想像した。

 

 

小学校の最後の三年間は、毎年夏休みも冬休みもまるまる祖母のうちに妹といた。

いつもお腹を空かせていた実家と違って、祖母のうちでは食べ切れないくらいたくさんのおかずが食卓に並ぶのが嬉しかった。

カラッと揚げられた唐揚げ。おばあちゃんが漬けた高菜漬け。砂糖の入った少し甘いポテトサラダ。青リンゴ味の手作りゼリー。揚げたてのドーナツ。芋団子。

何もなかった。でも全てがあった。毎日川へ行って遊び、神社で遊び、時折、宿題をしろと怒られた。祖母は私たちを甘やかしたりしなかった。勉強せにゃいかんよ。農家は儲からんけん、するもんじゃなか。

祖母は、現実主義者だった。粛々と現実を受け止め、黙々と生きていた。

「そげんこつゆったっちゃあ、しょんなかもん」が、生前の祖母の口癖であったらしい。そんなこと言ってもしょうがないでしょ。全てを受け入れ、抗うでも逃げ出すでもなく、淡々と黙々とやる、祖母らしさがそこに滲む。

 

祖母は最後まで弱音を吐かなかった。

恐ろしく強い人だった。

 

 

 

ねえ、おばあちゃん。

じいちゃんには、もう会えましたか?