見たいなー。でも三時間かー。なげーな……と思い続けて早三か月。
やっと見てきた映画「国宝」いやー、見てよかった。大正解、大満足。あんまりにもよかったので感想を書いておく。
以下、ネタバレあり。まだ見てないけど見る予定の人は気をつけてください。
まず、最初の40分。主人公・喜久雄の子供時代を演じられた黒川想矢くんの演技が良すぎて度肝を抜かれる。なんなん、あの色っぽさ。舞台挨拶で吉沢亮も言ってたんだけど、色気がとんでもないわけ。女形をやってる時の色気が。びっくりしてしまった同時に、そりゃ歌舞伎の家にひきとられるわ、これだけの才能があったら、と喜久雄という虚構の人物に対してぐっと説得力が産まれるような演技だった。
この子が成長したら、そりゃとんでもない役者になるはず、と見る者に期待させてしまう演技を見せてくれた黒川君の今後が楽しみですね。事務所も舘ひろしさんのとこらしくて(調べた)なんかもう間違いないって感じ。
時は流れて、天涯孤独になった喜久雄は歌舞伎の名門花井半二郎の家に引き取られ、そこで半二郎の息子俊介に出会う。
映画のポスターとかでさんざん「ともに夢を追いかけた」とか書いてあったけど、あんまり共に感はなかったかも。やっぱライバルだしな。でもなんかあんまりバチバチもしてなくて、かといってめちゃくちゃ仲良さそうというわけでもなくて、側にいたらずっと空気読みゲームをし続けないといけないような感じで、でもその微妙な空気感を出せることこそがやっぱりすごいんだろうなと思ったり。
そもそも、わたしが勝手に吉沢亮と横浜流星のダブル主演なんだろうなと思ってたんだが、蓋を開けてみるとそんなことはなく、圧倒的に主演は吉沢亮だったという。あんまり事前情報も入れず、国宝というタイトルのことも深く考えてなかったので……なんかすみません。
でもなんとなくいい感じにライバルでほどほど仲良し、みたいなのは最初だけで、花井半二郎が事故に逢い、自分の代役として喜久雄を選んだあたりから、二人の関係は急速に離れていく。
だってそりゃそうだ。代役に喜久雄を選ぶということは、息子の俊介より喜久雄の芸の方がいいと言ってることと同じなんだから。俊介の絶望は計り知れない。それを喜久雄にぶつければいいのにぶつけない俊介、いい奴過ぎる。
楽屋で緊張して震えて化粧ができない喜久雄のもとに俊介がやってくる。
喜久雄の「お前の血が欲しい。俺には守ってくれる血がないねん」の台詞でめちゃくちゃ泣いてしまった。喜久雄も泣いてたし俊介も泣いてた。
どれだけの恐怖か。半二郎は俊介に「お前の中の血が守ってくれる」と言った。喜久雄にはそれがない。誰も、何も、守ってくれない。
俊介の血が欲しいという喜久雄に俊介は言う「お前には芸があるやないか」
そうだけど、そうじゃない。あまりにも残酷すぎる台詞。喜久雄にとって何の救いにもならない。それでも舞台は待ってくれない。
歌舞伎の家の子でない喜久雄は、とても孤独。でも誰もが羨む芸の才能がある。それはまた彼をますます孤独にさせる。
半二郎の代役を見事にやりきる喜久雄。その喜久雄を見て家を出て行く俊介。
分かたれる道。
八年後、喜久雄はいなくなった俊介の代わりに、花井半二郎を襲名することになる。
が、その襲名の場で先代半二郎が吐血。今際の際に彼の口から出たのは俊介の名前。喜久雄ではない。残酷物語。やっぱり血の繋がりに勝てない感。
先代半二郎の後ろ盾を失った喜久雄には、大きな役もセリフがある役も回ってこなくなる。残酷物語すぎ。
歌舞伎の家の子でない喜久雄は、とても孤独。誰もが羨む芸の才能があっても、血がなければ意味がない。
血はあるけれど、役者として喜久雄に追い付けない俊介。
才能はあるけれど、俊介のような歌舞伎の血がない喜久雄。
この対比。この残酷さに、映画を見ながら焼かれて、心臓を何度も刺される。
さらに時が経ち、喜久雄の元恋人・春江との間に一子をもうけた俊介が歌舞伎の世界に戻ってくる。あっという間に喜久雄を超えていく俊介。
そりゃないぜ!お前がいなくなったあと、先代半二郎の側で彼を支えて頑張ったのは喜久雄なのに!!なんなんこれ。喜久雄、お前切れていいんだぞ?!
血がないから。歌舞伎の家の血がないから、役がもらえない喜久雄。先代がこさえた借金を肩代わりしている喜久雄。でもいい役が回ってこないから借金が返せない喜久雄。
どんだけ残酷な目に合わせれば気が済むんだYO!!!!!
そこに、歌舞伎役者の娘が現れる。血が欲しい喜久雄。娘の恋心を利用。あっさり親にバレて、勘当される娘。血が欲しかったのに、その血を得られず、結局歌舞伎界を醜聞によって去ることになる喜久雄。
残酷……っていうか見てて無情すぎて塵と化すレベル。喜久雄って、こんなにぼろぼろにならなきゃいけないくらいなんか悪いことした?!?!ねえ?!納得いかないんですけど?!?!
歌舞伎をやめても結局他に何も知らない喜久雄は、一緒に飛び出した娘と一緒に、日舞でドサ周り生活。
その途中、喜久雄の踊りを見て、本当に喜久雄を女だと思ってしまう男が登場。なんやかんや嘘つき呼ばわりされてぼこぼこにされるんだけど、でも、喜久雄の踊りってそこまでの境地に達したってことでもあるわけで、とても意味のあるシーンだったと思う。
お前には、芸があるやろ。
もうこの時の喜久雄には芸しかなかった。
人間国宝の万菊に呼び戻されて、歌舞伎の世界に戻る喜久雄。
また俊介と共に舞台を踏む。
若い頃、一緒に演じた道成寺再演。その最中に俊介は急に立てなくなり救急車で運ばれる。
糖尿病で片足の先が壊死していた俊介。なんで?!!!?!?!?!?なんでそんななるまでほっといたの?!!?!?!
ここらへん、あまりの急展開に気持ちが全部糖尿病に持っていかれた。いやだって、壊死するってかなり糖尿病が進行しないとならないのに、なんで……なんで……(困惑)
そうこうしているうちに片足になった俊介、まだ片足が残っているうちに先代半二郎の代役で喜久雄が演じた曽根崎心中がやりたいと言い出す。
片足で、ぼろぼろの体で最後までお初を演じる俊介。徳兵衛として最後までその俊介を支える喜久雄。
生まれも育ちも違う、互いに持つ者であり持たざる者だった二人の、一度は遠く分かたれた道が一つになる瞬間だったように思う。
そして、俊介はこの世を去り、残った喜久雄は人間国宝へ。
そのインタビューにおいて、喜久雄にむかって記者が言う。
「若いころから常にスポットライトを浴びてこられた」
言葉もない。喜久雄の人生は、そんなものではなかった。そんなに輝かしいものではなかった。孤独で、残酷で、本当に欲しかったものは一つも手に入らず、ただ芸だけが側にあった。
でも、舞台の上の喜久雄しか知らない観客は、世間は、やはりその記者と同じことを思うのだろう。
現実の世界においても、画面の中の芸能人しか知らない我々が、今もそう思っているように。
煌びやかで、美しい、残酷なほど美しい世界。
国宝となった喜久雄は言う。
ずっと、一つの景色を探していたような気がする、と。
映画の最後、鷺娘を踊り切った喜久雄は、舞い落ちる紙吹雪を見上げて、その只中で綺麗だなあと呟く。その景色が、ずっと喜久雄が探していた美しい景色であるようにと祈らずにはいられない。
たくさんの人が喜久雄の上を通り過ぎ、去って行ってしまった。
恋人も、家柄も、血も、名声も、あらゆるものが喜久雄の手の中から零れ落ち、そして、最後に歌舞伎だけが、芸の道だけが残った。
でも、こうも思う。
誰も、喜久雄に追い付けなかっただけではないか、と。
ひたむきな愛情も、血のしがらみも、兄弟の絆も、喜久雄を繋ぎ止めることはできなかった。彼は一人で行ってしまった。行くしかなかった。芸の道が、彼を呼んだから。
国宝って何なんでしょう。この映画を見るまで、そのタイトルのことを深く考えなかった。
でも見終わった今思う。国宝って、何なんでしょう。
それが何か真の意味で分かる人は、きっと同じ国宝である人だけなのだろうと思う。
喜久雄の言う美しい景色。その景色もきっと、国宝でなければ見ることが出来ない世界なのだろうと思う。
国宝とは、我々にとって真理を覗き見る望遠鏡のようなものではないだろうか。我々はただ国宝という存在を通じて、その美しい世界の断片なり残像なりを見させていただいている。そんなふうに今は思う。
喜久雄の生きざまは壮絶だけれど、歌舞伎のシーンは一転、どれも美しくて、舞台裏みたいな普段絶対見られないアングルの映像などもあり、どの演目のシーンも素晴らしかった。主演のお二人は本当に稽古を頑張られたんだろうなというのが、すべての所作から伝わってきた。
それにしても、最後の鷺娘を舞う喜久雄が本当に美しくて、音楽も壮大で、あの数分を見るためだけにもう一回劇場に行ってもいいなと思っている。
本物の歌舞伎も、いつか見に行きたいな。