さようなら、嵐 / 拝啓、嵐の皆様へ

「さようなら」という日本語が好きだ。さようならほど美しい日本語はないんじゃないかと思うから。

「さようなら」の語源は「左様ならば仕方がない」である。

そして「左様ならば仕方がない」とは「あなたとは別れたくないけれども、そのようにのっぴきならない理由なら(左様ならば)仕方がないけど、わたしたちここでお別れしましょう」の意だ。

さようならは、こうした惜別の思いがぎゅうぎゅうに詰め込まれた言葉だ。

今日わたしから嵐に贈る言葉は、だから、「さようなら」しかありえない。

 

 

NETFLIXで配信されていた「ARASHI’s diary Voyage」

実は今年の途中から個人的な理由で見なくなっていた。それというのもコロナのせいで、あらゆる現場がなくなっていた時期に、5×20の映像をVoyageで見たら引くほど泣いてしまったからだ。

ああ、もうこんなコンサートできないのかもしれないと思って泣いて。

こんなにたくさんの人が集まって、声出して笑って泣いて、こんなことが一年前にはできていたなんて奇跡みたいだ。奇跡だったんだ。そう思って泣いて。

見るのがとんでもなくしんどいコンテンツになってしまって、しばらくVoyageからは離れていた。

またぼちぼち見始めたのは、個人のソロインタビューがメインになり始めてから。

コンサート映像がないとはいえ、それでも、さすがにJun’s diaryには耐えがたい苦しさと愛おしさがあった。

本当なら今年の11月、嵐はアメリカでコンサートをしているはずだったのだ。

そのために一年前から仕込んできたあらゆること、Turning Up、各シングルの英語ver配信、最新デジタルシングルParty Startersに至るまで、あらゆることの文脈が崩れ、台無しになる中、それでも前に向かって、2020年の終わりに向かって進んでいこうとする潤君の姿に、なんというか、感動を飛び越えて畏怖のようなものすら感じたように思う。

不屈の意志。不変の愛。僕はエンターテイメントの力を信じていますといっていた、2008年の松本潤。その志がすべて集約された今日、2020年12月31日。

嵐は活動を停止する。

 

あの発表から二年もあったのに、全く全然実感がない。実感もないけど不安もなかった。嵐からの愛を疑う余地もないほど、愛されていた。それだけがわたしにとっての真実ですべてだった。

美しい終わりに向けて粛々と閉じていくと思っていたわたしの予想を裏切って、嵐がこの二年でやってきたことはひたすら挑戦、挑戦、挑戦だった。嵐が誰より嵐を諦めていなかった。それはわたしが2008年のあの日、転がるように好きになった五人と何も変わっていなかった。

嵐が嵐である限り、わたしはきっとこの五人のことが好きだ。そう閃くように思ったことを、今も思い出す。嵐が嵐である限り、嵐らしくある限り。嵐らしさなんて、いまだに言葉に出来ないんだけれど、それは分かる人にだけ分かるものでしかない。見つめてきた人にしかわからないもの。

アイドルを応援していくうえで経験するあらゆること、あらゆる喜怒哀楽、不安や葛藤、あらゆる困難、奇跡のような瞬間、そのすべてをわたしに最初に教えてくれたのは嵐だ。嵐を通じてたくさんの友達ができたし、いくつかの友情を失ったりもした。

嵐はわたしの夢であり、目標であり、先輩であり、同僚であり、友人であり、兄弟であり、誰よりも遠く、何よりも近く、一緒にいてくれた人生の一部だった。

 

VS嵐嵐にしやがれ、十年以上続いた番組が最終回を迎える度にTwitterのTLには寂しいという文字が並んだ。嵐のファンじゃない自分たちがこんなに寂しいのだから、嵐のファンの人はどれだけの寂しさか、という言葉も何度も見た。さすがに、わたしの妹(非ジャニオタ)からもラインが来るぐらいだった。

寂しさなんて、今はまだない。寂しいだけで済ませられるなら、どれだけ幸せか。

わたしは嵐にしやがれの最終回、感謝カンゲキ雨嵐を歌う五人を見て、めちゃくちゃ泣いた。嬉しくてじゃない。悔しくてだ。何で自分は今ここでテレビ越しにこれを見てるんだ、どうして直接会って、目の前で嵐!ってC&R出来てないんだって、コンサートがやれない現実に猛烈に怒りが込み上げてめちゃくちゃに悔しくて泣いた。どうして、こんな、最後に力いっぱい名前を呼んであげることもできないなんて。こんなのってない。

これからくるのだ。ぜんぶ。寂しさも、喪失感も、きっとこれから、ぜんぶくる。嵐ファンは大丈夫だけど大丈夫じゃないんです。消化して受け入れる、その時間がこれから必要なんだと思う。嵐が今日までどれだけ手を尽くしてくれたか、わかっています。でもそれでも、それを受け取って処理するはこちら側の責任だから。こればっかりはどうしようもない。

 

 

今日のオンラインコンサートが終わったら、お互いどんな気持ちになるんでしょうね。

結局、失効させる勇気の持てなかった嵐ファンクラブの会員資格。昨日更新してきました。

08年に入会したわたしの番号は33万台。当時はこの数字ですらとてつもない数字だと思っていたのに。

本当にいろんな夢を見せてもらいました。CMが一つ決まる度、大騒ぎだった頃を懐かしく思います。最終的に国の式典で歌まで歌わせていただくようになるんですから、本当に人生何があるかわかりませんよね。

それでも、どんなにすごい夢を見せてもらっても、すごいことを成し遂げていても、わたしがいつも嵐の五人と見たかった夢はコンサートでした。コンサートで一緒に遊ぶこと。ただそれだけが、わたしがどうしても叶えたい夢で、どうにもうまくいかない夢でもありました。会えなかった年も少なからずあったし、そのどん底から這い上がるやり方も、全部嵐に教わったように思います。

今はこういう状況で、どん底の底が見えない状況ですが、それでもなんとかやれているのは、やっぱりそういう経験があったからだと思います。

いいこともわるいことも、高く昇っていく時も、こうして降りていく時も、その全部の景色を見せてくれて、手を引いて歩いてくれて、ありがとうございました。

巷ではいついつ再結成なんて、まことしやかにささやかれたりもしていますが、わたしは五人のやりたいようにやってくれたら、それでいいと思っています。だから、期待されてるからまた集まらないといけないなんて、思わないでください。そんなプレッシャー感じながら、生きないでください。自分の望むようにやってください。皆さんの人生は、皆さんそれぞれのものです。集まりたければまた集まって、コンサートをやりたければ駆けつけますからいつでも言ってください。でももういいや、って思ってもいいんです。だって、もう一度なんて考えられないくらいいつだって全力で、全てで、嵐でいてくれた五人ですから。ただどうか、健康にだけは気を付けてください。

どこにいても、何をしていても、誰を思っていても、幸せでいてください。絶対に。

わたしもそうなれるように努力します。

 

 

では、本日20:00。画面の前でお会いしましょう。