斯くも儚き

ジャニごとはあまり関係ないことを書きます。

というか、ジャニごともいろいろ書きたいことは山ほどある。
でも私の中ではまず、この話をしなくては何も整理がつかない。
それは今回の熊本地震にまつわる話だ。


突然だが、私は福岡市に住んでいる。
前震でも本震でもそれなりに揺れた。
でもちゃんと今、日常を送れている、ような気がする。
送れている、と断言出来ないのは、地震の前と完璧に何一つ変わらないとは言えないからだ。
本震の後、格段に減ったけれど、余震はまだある。それだけのことと言ってしまえばそれだけのことで、だから何か被害があるとか、生活に支障をきたしているとか、そういうことはないけれど、でも。

非日常が日常になった。

大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、私の感覚はこれが一番近い。
多少の揺れには何も感じなくなっていく。被災地の報道が当たり前になって、なんとなく、アイドル最高いえーいみたいなこと、言ったらダメみたいな空気で。
被災した方々に比べたら、全然大したことない。
でも、真綿でじりじり首を絞められているみたいだ。

テレビをあまり見なくなった。
自分でも無意識に地震の話題から目を背けている。どうしてだか、ずっと放置してたモンハンばっかりやってたりする。

日常とはかくも儚いものだったかと痛感する。
後少し震源地がズレていたら、今日ここに私が居ない現実だってあった。
日常なんて、薄氷の上の幻に過ぎなかったという感覚が、私を生き急がせる。今しかない。今日しかない。私の時間。私の人生。
日々がちゃんと繋がっていく保証はどこにもないぞ。やるなら今だ。会いたい人に会いに行かないと。伝えられるうちに伝えないと。君たちが、ジャニーズが、大好きだって。

今ものすごく現場が恋しい。
アイドルの見せる非現実が恋しい。
夢のようで、夢じゃない。
何よりも確かに、私が生きていることを実感する、あの世界が恋しい。

週末にはグローブ座で思いっきり笑いたい。
東京ドームで音と光の海に溺れたい。

私は私の日常を、取り戻しに行く。

屈折率2.42 ~ダ・ヴィンチと花言葉とエンターテイメントの力~

ダ・ヴィンチに愛されている」

私のTLのえび担の皆さんが、口々にそう呟いてちょっとした祭りのようになった3月半ば。ちょうどA.B.C-Zの新曲「花言葉」のDVD発売も相まっていた頃で、他担の人もこぞってそれらを購入しては、その中身の充実っぷりに感嘆のツイートを落としていた。

これは買わないと後悔するやつ…!というわけで、私も例に漏れず、いそいそと本屋に向かったが、地元の本屋ではすでに売り切れていて、結局amazonでぽちった。

 

 アクロバットの得意な人たち。

A.B.C-Zというグループに対して、私が持っていた知識はおそらく、世間一般の人とそう大差がない。戸塚君が近年、昼ドラや映画に出演していたことは知っていても、見たことは一度もなかったし、まして、彼らの舞台にもコンサートにも、足を運んだことがない。地上波の音楽番組でも、たまに見るけれど、やっぱりどうしたところでアクロバットの印象だけが強く残る。おや?と思ったのは去年「Moonlight Walker」をMステで披露した時で、わー、おしゃれな曲!と思ったことと、終盤まで戸塚君がハットで顔を隠していて、お顔を見たいのに見えなくて、最後のサビ辺りでやっと見えた時、ただでさえ美しい戸塚君の顔面がさらに美しいものに見えて、これ計算でやってんだったらこの人とんでもない策士だヤバい、と震えたことは覚えている。

デビュー前「エビキス」とキスマイと併せて呼ばれていたことは、私の中ではまだ記憶に新しく、逆に言うとまだその頃の必死に水面下で足掻いているような印象が根強かった。彼らがデビュー前、そしてデビューしてから何をやってきたか、何も知らないまっさらの私にとって、だからダ・ヴィンチ4月号は、とても情報盛りだくさんの教科書だった。

 

 

アイドルを好きになる時、心臓を鷲掴みにされる瞬間が、必ずある。

ああ、私にとっての「特別」はこの人だ。理由もなくそう確信する瞬間。

ダ・ヴィンチを読みながら、衝撃と共に「君が好きだ…!」と一瞬で心奪われたのが橋本君だった。

 

KinkiKidsの堂本光一さんとか見てても、どんなに面白いこと言っても、ステージに立つとバラが見える。アイドルって、これだなって。ステージに立つ以上は、自分もないバラがそこに見えるような存在でありたい。だからお客さんがよそ見してると悔しいんですよ。俺は今、バラ背負ってやってるんだ、こっち見ろよって思ってます(笑)

 

真っ直ぐで正直で、なんて強い人なんだろうと思った。

グループ内最年少という点では、WESTの小瀧君と同じだけれど、橋本君から感じるのは圧倒的なハングリー精神だ。食らいついて、追い越していく。自分の弱さを受け入れて、そこからさらに自分を追い込む強さがあると思った。メンバーに追いつこうという飽くなき向上心と、センターであることの責任感によって鍛え上げられた彼の心の強さが、誌面の向こうから私の心をガンガンと揺さぶってきた。

 

 

それからほどなくして、花言葉のDVD通常版を買った。初回版と迷ったけれど、彼らのパフォーマンスが見たかったから、ABC座のshow timeの一部が収められている通常版にした。

まず花言葉のショートフィルムのクオリティの高さにひっくり返った。

本当にこんなドラマ、月9あたりでありそうじゃん…!と思って、何より5人のお芝居がすごく良くて! えー、もっと演技仕事してほしい!オファーこい!と思った。舞台もいいけど、地上波で流して欲しいよ。絶対ファン増えるよ!

途中でダンスが始まってようやく、そうだこれ、MVでもあるんだった…!と驚くっていうね。このショートフィルムだけでも買ってよかった!って思えるくらい素晴らしい作品。

それから去年のABC座なんだけど、これは絶対、生で見るべき…!という確信とともに、昔、嵐の潤君が言っていた「エンターテイメントの力」っていう言葉を、ふと思い出した。

 

2008年、嵐の初ドームツアーを追った写真集の最後に、五人のソロインタビューページがあって、その中で潤君は「僕はエンターテイメントの力を信じている」というようなことを語っていた。当時、嵐にもジャニーズにもハマりたて、コンサートと名のつくものに一度も行ったことのなかった私は、彼のいうそのエンターテイメントの力というのが何なのか、さっぱりわからなかった。分からないまま、そのことを実感しないまま、8年が過ぎた。

そして今になって、このABC座の映像を見て、そのことを急に思い出して、納得した。

これだ、と思った。歌もダンスも申し分なくすごいのにさらに、なんでこの演出?ここでこんなに体を張る必要が?という驚きの連続で、でも結局、そんなことはどうでもよかった。引きこまれて魅了され、ただ目の前の世界の輝きだけが全てになる。わけわかんないけどすごい!!A.B.C-Zすごい!!っていう世界。すごいとしか言えないのがもうなんか、すごくもどかしいんだけど、とにかくすごいんだよ!としか……説明してって言われても、DVD見てくださいって差し出すしかない。言葉なんて追いつかない。理屈も理由もいらない世界。エンターテイメントの力。ジャニーさんが、ミュージカルを見て感銘を受け、自分も同じ感動を世の人に届けたいと思って始めた事務所の、その一番の核がこれなのかもしれないと思った。華やかでわけわかんなくて思考なんて置いてきぼりで、自分は剥き出しの感情だけになる。

ABC座はコンサートじゃないから、この感覚がA.B.C-Zのコンサートで感じられるものと同種のものかわからないけれど、大きくかけ離れたものではないとするならば、彼らのコンサートはきっとジャニーズの粋がぎゅっと詰まった物であるに違いないと思った。

 

A.B.C-Zって宝石みたいだと思う。

長い下積み時代、便利屋の様にいろんなグループのバックに呼ばれる中で、そこでのいろんな経験を通じて、磨かれ、鍛え上げられ、デビューし、今吸収した全部で、こんなに眩しい舞台を作り上げる。

それはまるで、何度もカットされることで、受けた光をその中で増幅させ、さらに美しい光として外に放つことの出来るダイヤモンドのようだ。

会いに行きたい。そこで君たちが背負うバラをこの目で確かめたい。

 

今年の夏が、今からとても待ち遠しい。

 

 

ダ・ヴィンチ 2016年4月号
 

 

 

花言葉/A.B.C-Z(通常盤) [DVD]

花言葉/A.B.C-Z(通常盤) [DVD]

 

 

 

 

星を降らせる王子様の話 【Welcome to Sexy Zone 4/2福岡】

 

公演のネタバレはありません。感じたことをつらつらと。

 

大人じゃない。子供じゃない。大人と子供の境界線の上にいる時、世界はとても理不尽で、狭くて、息苦しくて、許せないことばかりだった。

一人前だと虚勢を張ってみれば、甘い考えだと一笑に伏され、子供の権利を振りかざしてみれば、甘ったれるなと突き放される。

世界はどうして何一つ、思い通りにいかないのだろう。もどかしい。歯痒い。抜けだしたい。ここではないどこかへ行きたい。私は何者なのか知りたい。

そんなふうにもだもだと世界を呪ったり、勝手に絶望したりしていた頃が、私にはある。

ちょうど、今のSexy Zoneと同じ年頃だった時の話だ。今よりずっとずっと、子供だった頃の話。

 

 

彼らは、その頃の私に比べれば、どうしたって遥かに大人に見えた。

最年長の健人君ですら、まだ22歳。なのに、彼ら五人が創り上げてきたステージは、正直、胸が震えるほど完成度の高いものだった。舐めていた。Sexy Zoneを舐めていた。五人のSexy Zoneは無敵だった。

踊って踊って、踊りまくる。まだ踊る? まだ踊るの?! 底なしの体力に唖然とした。頭から終わりまで、ブレーキなんて踏まないまま、トップスピードで駆け抜け続けていく。後半になっても、衰えを知らないダンスのキレ。一分一秒がクライマックスだった。瞬く暇さえ惜しかった。圧倒され、魅了された、あっという間の3時間だった。

 

オープニングから数曲目、センターステージに移動した5人が上着を脱いで2ポーズ目に入った時、覗き込んだ双眼鏡越しに、健人君がくるっとターンを決めた瞬間、ぱっと汗が周りに飛び散った。照明を受けて煌めくそれが、私には真っ白な星に見えた。

健人くん、君は星を降らせるのか。そう思った。馬鹿みたいだけど、頭おかしい人みたいだけど、いや、もう実際ちょっと、ネジの一つや二つ吹っ飛んでる自覚あるけど。本当にそう思ったんだよ。ああ、なんてかっこいいんだろうって思った。ノースリーブの衣装のおかげで露わになった二の腕に、がっしり筋肉があって、想像していたよりずっと大きくてがっちりした体つきに驚いた。あんなに、御伽の国の王子様然としているのに、今このステージに存在している中島健人という人間は、アイドルという天職をがむしゃらに生き抜いている22歳の真っ当な男性なんだ。そう思い知らされた。

滝のような汗を滴らせながら、強く真っ直ぐな歌声を響かせる。途中、メインステージで、他のメンバーが歌っている間、ポーズを決めて微動だにしない健人君をこれまた双眼鏡でガン見した。「はっ、はっ、はっ、はっ」っていう、上がりきってる呼吸音が聞こえてきそうなくらい、全身で呼吸していた。その表情は苦しそうとかではなくて、でも特別笑顔というわけでもなくて、でも、そこには迸るような存在感があった。その眼差しには、佇まいには、力があって、温度があった。いまここに彼が生きているという、当たり前かもしれない事実が、急に実感を伴って私の中に落ちてきた瞬間がそれだった。

 

いったい、どれくらいのスピードで、彼らは大人になることを余儀なくされたのだろう。

軽快にMCを回す風磨くんを見ながら、そんなことを考えた。基本的に4人がボケて、勝利君がツッコんでいくけれど、一番喋り倒していたのは風磨くんで、でもさすがというか、やっぱり語彙が豊富でぽんぽん言葉が出てくるから、話の流れに淀みがないし、散らかし過ぎたら自分で片付けて話をまとめてしまう器用さもある。聴いていてだから心地いいし、ずっとおかしくて楽しくて、MCは笑いっぱなしだった。

風磨くんは、グループの目標など、真面目な意見を求められる場では、きちんと自分の言葉で臆することなく現実を綺麗にごまかさずに表現できる人だと思っていて、その頭の回転の早さには舌を巻く。年相応のやんちゃさと、どうしたって言葉の端々に滲み出る知性、だだ漏れの瑞々しい色気がとても魅力的。いやもうほんと、2003年の櫻井翔を見てるような気持ち。こう、翔さんの生真面目さやストイックさというステータスを、サブカルとかおしゃれ感とか女子力とかに振り分けたのが今の風磨くんって感じなんだよな。で、ジャニウェブの「薔薇色の日々」を読めば、彼がとても柔らかい真っ直ぐな心の持ち主なことは明白で、好きにならないわけがないんだよ、ほんとに。アイドルとしてどうのこうのという前に、人間性に惚れたのが風磨くんだ。

風磨くんの話術はSexy Zoneの武器の一つだと思うし、彼がいれば何かを発信するという点において、不安に思うことは何もない気がした。でも、五人できゃっきゃしてる時は、やっぱり年相応に子供らしい顔で、それもまた可愛らしくて、このギャップのふり幅がまた堪らないよ、風磨くん……。

 

うまくいかないこともあったんだろう。

望む方向と違う現実を前に、悲嘆にくれるファンの姿もきっと知っていて、分かっていて、でもどうしようもなくて、腐ったら負けで、目の前のことを頑張るしかなくて。もどかしい。歯痒い。抜けだしたい。大人と子供の境目で揺れる心情が溢れる勝利君のソロは聴けば聴くほど、そもそもこんな歌詞を勝利君に書かせてしまったこと自体が問題では?!周りの大人は何やってんだよ?!もうねえ?!ほんとにさあ?!お願いしますよ!!!!!と私のモンペ化を加速させる一曲です。

大好きなアイドルの謝罪とか、ファンは世界で一番聞きたくないよ。謝らなくていいんだよ勝利くん。笑っててくれ。頼むから。

最後、声出しすぎちゃったのか、若干声が掠れてた勝利君。アンコールで出て来たら治ってたから一安心。ご機嫌で、テンション高くて、くるくる飛び跳ねてたのが可愛かったなあ。一番、大人と子供の境目にいる人という印象。もう十分イケメンだけど、これからさらにどんな魅力を持つ大人に成長するのか楽しみすぎて震える。

それにしても細い! 体重軽いもんな、勝利君は。おいしいものをたくさんお食べ…と私の中の母性が大変な騒ぎです。

 

聡ちゃんとマリウスくんは、まだまだ区切りとしては子供の側で、グループの可愛らしさ、アイドルとしての高い透明性や二次元ぽさを担う立ち位置なのかなあと感じた。

でも終盤のクライマックスのダンス曲では、笑顔を封印してばっきばきに踊ってて、その時のマリウス君が超クールでどうみても二十歳オーバーだったからほんとに末恐ろしい……16歳とかなんの冗談なの。でも、お誕生日お祝いされてる間は、にっこにこしててマジ天使だった。

聡ちゃんはふわっと天然だけど、ダンスはキレッキレだし、なにより「僕はいま!楽しくて仕方ない!!です!!!!!」って全身で叫んでくるから、こっちも「かわいい!!!!!」って命がけで叫ぶ羽目になるよね!かわいい!!!!!

彼のダンスは言語であり感情であり魔法なんだなと思った。

 

 

アルバムを聴いて、五人の成長をめきめき感じていたけれど、実際にコンサートで見た5人は成長どころではないというか、もはや進化では…と感じるくらい、強い絆と個々のスキルの高さを見せつけられたと思った。

大人じゃない。子供でもない。そういう刹那のSexy Zoneを焼き付けることが出来て、本当に良かった。

五人で踊ってる姿を見て、私の中の元嵐担の部分が久しぶりにざわざわしたのがすごく印象的で、これは、嵐さん、うかうかしてたらやっべーぞって震えたのを覚えてる。それくらい、抑圧された世界から解き放たれたような「5人のSexy Zone」の無敵感がすごかった。

バックのジュニアの子たちも、実力のある子達ばかりだから、ちょっとでも何かが間違えばたぶんこのコンサートは、そちら側に飲まれる可能性も十分あって、でもそれを従えてさらにもう一段高いものをSexy Zoneが提示してきてくれたから、ちゃんと全編を通してしっかりとSexy Zoneのコンサートとして成立していたように思う。

その核はやっぱり「五人のSexy Zone」というところに尽きる。五人が本当の意味で胸を張って「これがSexy Zoneです!」と堂々と言えること。それが何よりも彼らに自信と笑顔を与えているからこそ、歌もパフォーマンスも冴え渡るし、見守るファンもただ彼らに「ようこそ!」と迎えられるまま、そこに身を委ねることが出来た。それって最高だよ。最高なんだよ。

 

 

初めてのSexy Zoneがこの公演で良かったなと思えることがもう一つ。

開演10分前から始まった「セクシーゾーン」コールがすごくて。

ちょっと、去年の夏から数えると通算4回目のマリンメッセで、グループで言えば3グループめだったんだけど、一番声出てた! 福岡のセクシーガールたち、熱い! もうね、なんというか「さっさとセクシーゾーンを出しやがれ!!」っていう気迫すら感じさせるコールだったし、アンコールの時のコールもそうだし、何より会場の揺れるペンラの勢いが尋常じゃないと思った。こう、ペンライトって自然と曲のリズムに乗せて揺らしてしまうものではあるけれど、あの日の会場の光の一つ一つには、それだけじゃない力強さを感じた。嬉しい楽しいやっと会えた!ていう気持ちが、そこに見えるような気がした。叫びたい気持ちをペンラに託してるというか、正直、客席の放つ熱量が、Sexy Zoneの熱量を圧倒してる気さえした。彼らからもらったエネルギーより、ファンが彼らに送ったエネルギーの方が絶対大きいぞと思う。これってほんとになかなかないことだ。貴重な体験をさせてもらいました。ありがとう、福岡に集ったセクシーガールたち。そこだけみても、とっても素敵な愛のあるコンサートでした。最高に楽しかったです!!!!!

 

圭人くん、お誕生日おめでとう

大事なことは、いつだって目に見えない。


たとえば、今日もいい天気だったとか、ご飯がおいしいとか、1日怪我も病気もしなかったとか、たまたま見たテレビ番組で死ぬほど笑えたとか、幸せって特別でもなんでもない、日常の隙間にぽろぽろ落ちているものだったりする。
圭人くんの魅力は、そういう類いのものだと思う。焦っていると見落としてしまう。でも、深呼吸して、強すぎる光に手をかざして、しっかりと世界を見つめ直した時、圭人くんの放つ光は、必ず見ている人に届く。見つけるべき人に、見つけてほしい人に、ちゃんと届くのだと思う。
ふとした時に、圭人くんが持っている無上の優しさ、可愛らしい笑顔、真っ直ぐな眼差しに、ハッとさせられ、そうなったら最後、たくさんの目に見えない温かなものを纏ってそこにいる圭人くんの人柄に惹かれずにはいられなくなる。

ラジオで伸び伸びお喋りする圭人くんが好きだ。
山田くんに対して好きがだだ漏れてる圭人くんが好きだ。
留学先で、生きるため、英語を必死に覚えた圭人くんの根性と度胸を尊敬してる。
敬意と愛情を形にしたような投げキスをスタンドに向かって放った、あの日の王子様みたいな圭人くんが、瞼の裏で今も、きらきらと輝いているよ。

23歳、本当におめでとう。
他人への敬意と感謝に溢れた、圭人くんのその優しさは、時代がいくら移ろっても決して廃れることのない、柔らかな光を放つ普遍的な魅力だと思います。自分らしさを大切に、真摯に、自信を持って、道を切り開いていって下さい。
どうか、素晴らしい一年になりますように!

We had to say good-bye.

どうか、盤石の幸せを。


君のことを、覚えておくね。
世界をめちゃくちゃに揺らしながら踊っていた、いつも笑顔だった君のことを、最後まで笑顔だった君のことを、覚えておくね。
あの日のこと。真っ赤なコート。嘘みたいに完璧だったダンス。最後の生放送。最後の四人のreal face。亀梨君が笑っていたこと。中丸君がいつも通りでいようとしていたこと。上田君がカメラに背を向けて泣いたこと。今日の日のこと。朝から曇りだった空のこと。くしゃみが止まらなかったこと。満開だった桜。帰りがけに降りだした雨。生温い春の夜の空気も。ああ、ねえ、そうだ。遠いと思ってた春が、こんなにも足早にやってきた。

せめて、もっと思い出が欲しかった。
踊る君を、この目でちゃんと見てみたかった。
もっとこれからの君を、見たかった。


田口君、どうか、盤石の幸せを手にしてください。
いつか未来で、もう一度アイドルをやるかと問われても、それに首を振れるぐらいの、揺るぎない幸せを掴んで下さい。

どうか、幸せだと笑っていてね。
たくさんありがとう。ばか。だいすきだよ。

僕たちの前に道はない

久しぶりにKAT‐TUNの話をする。

本当は10Ks!コンに入ってから、KAT‐TUNへの気持ちをまとめたいなと思っていたけれど、実際に私が入るのはまだ一か月も先なので、今の気持ちを忘れないように、一度ここに吐き出しておく。

 

嵐は「いつかトップに立つ」のが夢だと言った。

JUMPは「いつかでっかい花火を打ち上げる」と言うし、WESTは「てっぺんのその先に連れて行く」と言う。

じゃあKAT‐TUNは、どこに行くのだろう。

私は、彼らの口から目的地の場所をきいたことがない。いや、ド新規だから、知らないだけかもしれないけれど、でも、彼らにとって、どこかに辿り着くことよりも、誰とどうやって行くのかの方が重要なのかもしれない、とアルバムを聞きながら思った。

 

前人未踏という言葉が似合うと思う。白地図に描かれていく軌跡こそKAT‐TUNだ。だからなのか、辿り着きたい場所を持ってしまった人たちは、船を降りざるを得なかったのかもしれないと思った。

回り道でも一番前で、新雪に最初の足跡を刻むように、誰も挑んだことのない世界を切り開きながら、歩き続ける。もしかしたら、もっと簡単に進める綺麗に舗装された道があるのかもしれない。でも、それは誰かがすでに歩いた道で、そこを辿るのはきっと違うのだろうと思った。

 

田口くんがKAT‐TUNとして出た最後のMステで、亀梨君はずっと、カメラから視線を外さなかった。ただ、「君のユメ ぼくのユメ」を歌う前のほんの少しの間だけ、背中を見せた。そこに、あの日の、ベストアーティストの時に見た、彼の背中が重なった。その背中に、KAT‐TUN亀梨和也じゃない、ただの人間・亀梨和也が見えるような気がして、私は息を呑んでその背中を見ていた。でも振り返った彼は、やっぱりKAT‐TUNの亀梨和也だった。笑っていた。かっこよかった。圧倒的に「KAT‐TUNの亀梨和也」だった。泣けてしょうがなかった。笑うのか、ここで。こんなにきれいに、君は笑うのか。どんな時も「KAT‐TUNの亀梨和也」であることが、君をこんなにも強く美しくする。KAT‐TUNという不死鳥は、堕ちたりしない。そのことを証明するように、今ある全てで、その強さを見せつけられたと思った。炎は衰えるどころかいよいよ激しさを増し、さらに高みへと舞い上がっていく。

距離も時間も飛び越えて、行こう、と言われた気がした。

どこへ? どこへでも。どこまで? どこまででも。

 

 

人生で初めて入る東京ドームがKAT‐TUNでよかった。

まだ君たちに差し出せる「初めて」があってよかった。

君たちのホームで君たちと会えるのを、とても楽しみにしています。